Jun 29, 2010
もう立ち直れましたか?
「もう立ち直れましたか?」と大好きな美人のお医者さんが訊ねました。「まあ、まあ」と苦笑しつつわたしは「先生、ホスピスってどんなことをするんでしょう?」
「うーん、積極的な治療はなくて痛み止めとか点滴なんかもそんなにしないかもしれない。栄養が癌にいっちゃうからね。」
「・・・・・」
前にホスピスで亡くなった上司の葬儀にいって、亡骸がミイラのようになっていて喉を詰まらせたことがある。
それはそういうことだったのだ。
しかし、それは不幸なことではない・・・彼女が敬虔なカトリックだったから、神のもとにいくことが「死」なのでした。
それに、彼女は生存期間中にバチカンにも赴くことができたのです。
仏教でも死はお釈迦様のところに行くということですね。
まあ、あらためてホスピスの精神は考えないといけない。
ところで毎週母のところへ食事をつくりに行くというのは、一週だけお休みしていましたが、まだ続いていました。
でも、今回は家で作って鍋ごとタクシーで運びました。
特製ビーフシチューは、素人にしてはまあまあ。
プロならクレームのつく味です。
まあ、何より一緒にご飯を食べるのが一番ですね。
親子とも少しは元気になりました。
しっかり病んでいます。
数日おきに末期がんの友人の連絡がはいり、それが2人になり連絡係のようになっていました。すると青春時代のあれこれと、思い出したくないことなど思い出し、当時の関係の稠密さにもわずらわされてしまいました。
睡眠不足が続いて自分に苛立っては貰ってきた入眠剤に、助けられていました。
運動もやめてしまった。
多くの思い出があり、若いままの彼らがフラッシュバックのように目の前を錯過していきました。
死ぬならがんがいい....そう思っていたわたしも、ひるんでしまうような病状報告。
昨年から、たくさんの人を失って、わが身にこたえました。
年齢を重ねると言うことは、こういうことだったのか・・・・。
両親はよくこれに耐えました。
親が、兄弟が順々に亡くなっていくのは、どれだけつらいことだたか・・・
ともあれ、そうやって人間は生きていくのですね。
日常の瑣末なことでさえ、今は病に死にまつわることのような気がしています。
Jun 16, 2010
6月の初めはあれこれと・・・。
ここのとことろいろいろ予定があって、さらにアクシデントがあって忙しい日々でした。ピレネー犬に咬まれた小指の包帯はやっととれましたが、指はまがったまま。
反らない・・・・・治るのかなあ。
ピアニストなら決定的ですね。こういうの。
チェリストでも、、まあみんなそうか。
昨日が一番忙しくて、6月の花を持って、銀行とハンコ屋と病院と呉服屋と書道家の家にお邪魔して、朝からケータイも固定電話も通じない母のところに安否確認に行きました。
迷惑そうだったけど、心配しますよね。
なにせ『後期高齢者』なんだから・・・・。
で、一番面白かったのは82歳の書家。
新築祝いに頂いた2幅の書を持参したのですが、季節がわからないと掛けられないんですね。
出典はわかったのですが、そのさらに一説となると、さらに分からず。
まあ、ひとつは季節を選ばないとうことで、そこだけは分かりました。
わたしは、中学くらいまで近くの書道塾にいっていたものですから、バランスとか墨切れをしているとか、お爺さんが褒めつつも指摘して言っていることにいちいちと得心がいきまして、一本はなんだか素人くさく見えてきてしまいました。
この方、美濃部都政のとき、美濃部さんの右腕だった人物。
過労死で「都民葬」になった人だそうです。
お坊さんでもそうですが、ある時期をすぎるとだんだん癖字がひどくなっていきます。
よいようになると、真の自分の字がでてきたなどというのです。 清水寺の住職が書いた、ああいう字ですね。
うまくなかった。w
雑誌を見ながらああだ、こうだと書を読み解くのは実に楽しい時間でした。
帰りに「今度は色紙を持ってきなさい。」と、だいぶ偉い先生だったのに、嬉しいことを言ってくださいました。 漢詩がいいかなあ?
追記・この方入院友達ですが、ロビーで頼山陽の話などしていてぎょっとして、話していくとわたしのお習字の先生をご存知だったので親しくなったのでした。