Oct 17, 2021

彫刻のことなど

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マンスフィールドさん。
モディリアーニの彫刻に
ついて知りたいんですけど。

そうねー。
モディリアーニは、22歳でパリに来たときから、
彫刻家を自称するほど彫刻に関心があったようなんだけど、
本格的に彫刻に専念するのは、1909年、25才の時。
美術愛好家の医師アレクサンドルに仲介してもらって、
彫刻家ブランクーシに会ってからと言われている。
住まいもブランクーシの住む家のちかくの、
モンパルナス54番地のシテ・ファルギエールに引っ越し、
1914年まで彫刻に専念するんだけど、
残されている彫刻作品は20から、25点といわれていて、
それ以前に作ったものは現存しないの。


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「頭部像」(1910)

「この木彫は、地下鉄の枕木の廃材に刻まれたという。
、、、
この作品には、ブランクーシの抽象芸術の影響と、
ブランクーシを通じてモジリアニの熱情の対象となった
アフリカの黒人彫刻の影響が明確にうかがわれる。」
(「モジリアニ名作展」作品解説より)


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「頭部像」(1911−12)

残されているのは、こうした頭部像がほとんどで、
ほかにカリアティード、カリアティード立像と
呼ばれる二体の全身像だけ。

「彼はブランクーシと会うまでは、石彫に関する技術を
何も知らなかったと思われる。、、、
それ以後、モディリアーニの素材はほとんど石灰石になった。
彼はモンパルナスの建築現場から石材を切り出して持ち運んだが
、それは作業員のいなくなった真夜中に行われた。」
(キャロル・マン「アメデオ・モディリアーニ」p80)

アンドレ・サルモンの評伝「モディリアニの生涯」p165~には、
モディリアニが深夜、建築資材置場に、
彫刻用の石を盗みに行くエピソードが小説風に描かれている。


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「椅子に座るジャンヌ・エピテリュヌ」(1918)

どうしても見比べてみたくなるね。


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「カリアティード」(1913)

高さ99.1㎝。

「1910年頃から、モジリアニは「カリアティードの連作を
開始している。、、、
「カリアティード」(女性人像柱)とは、昔、
ギリシャのラコニアのカリアの町のの女たちが、征服され
苦役に従事した故事から、「重荷を支える女」として、
建築や家具装飾において、女性像による柱を呼ぶ名称となった。
ギリシャ以来、この女性柱は多く用いられているが、
他方、モジリアニが影響を受けたアフリカ象牙海岸の
黒人彫刻にも同様の例が見い出される。」
(「モジリアニ名作展カタログ」作品解説)

「ここでモディリア二は自然の人体を歪曲しているが、
それは「原始的な」アフリカ・アジアの芸術の形体的
原理を応用したためだった。こうして女性の形から
官能的な雰囲気が取り去られると、力強い線が
入り混じる対象として眺められるようになった。
すると体のそれぞれの部分は容積をもつ形体の
一部になり、古代エジプトやミケーネ文明の
彫像によく似た様式化された顔だけが、
内面的な清澄さや歓喜の輝きを放つようになる。」
(アネッテ・クルシンスキー
「アメデオ・モディリアニ 裸婦と肖像」p88)

「モディリアーニの作るカリアティードには表情もなければ
個性もないが、それでも彼の理想とする愛のイメージが
託されている。造形的な緊張とリズムにおいて、それは
インドの輝かしく官能的な女神像に近いところがある。
彫刻的な仕上げの点ではまだ未完成ではあるが、
とはいえ、これらのカリアティードには大地から
わきおこる女性特有の生命力が溢れていることは確かである。」
(キャロル・マン「アメデオ・モディリアーニ」p105)


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「カリアティード」(1913)

残されているかがんだカリアティード像は前掲の1体だけだが、
油彩、水彩、グワッシュ、クレヨン等でえがかれた
頭部像、直立像、カリアティードと呼ばれる
かがんだ像などの、膨大な量のデッサンが残されている。
(デッサンの真贋の判定は難しいらしい)

「この頃、彫刻のための予備的デッサンや
人体の習作がどれほど制作されたのか正確に
知ることはできないが、モディリアーニは
毎日のようにデッサンによる習作を作っていた、
と伝えられる。」
(キャロル・マン「アメデオ・モディリアーニ」p80)


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「カリアティード立像」(1912)

1体だけ残っている立像。
高さ160㎝。

「モディリアーニの彫刻の主題はつねに人間である。
謎めいた微笑をとどめた、細長く無言の頭部像。
そして官能的で非人格的なカリアティード像。
これらの彫像は地面に直接立てられるか、
小さな台座に置かれる物である。背景や身振りを
必要とせず、最上の作品では主題の逸話性や
感情表現も必要としない。こうした頭部像は、特定の
モデルを必要とする肖像でもないし、男性・女性の
区別さえも必要ではない(おそらく両性であろう)」
(キャロル・マン「アメデオ・モディリアーニ」p85)


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「頭部像」(1911)

これは「ライモンド」(1915)と、
比較してみたくなるね。


e9

ただ顔を図案化したんじゃなくて、
失敗の許されない石彫制作や、
大量の彫刻用デッサンの積み重ねが
背景にあったことがわかったでしょう。

微妙な目と口の位置が肝心なのは、
ちびまるこちゃんの顔みたいだね。
。。。


解説)
今回は彫刻作品の紹介でした。
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