Oct 11, 2021
肖像画のフォルム
マンスフィールドさん。
おつかれでは?
いえいえ。
今回は、肖像画のフォルムについて、
ちょっとご紹介。
「ユダヤの女」(1908)
モディリアーニがパリに来て、
2年後に描いた肖像画。
「ポール・アレクサンドル博士」(1909)
これは、モディリアーニが、
パリに来た翌年に知り合って友人となった
美術愛好家ポール・アレクサンドルの肖像画。
この人は当時研修医(のちに高名な外科医となる)で、
歯科医志望の弟のジャンと共に、デルタ街に
家を借りて芸術家たちのための共同生活体を
つくっていて、そこにモディリアーニを招いてくれた。
貧しかったモディリアニから
定期的に作品を買ってくれたり、
肖像画を描く仕事を周旋してくれたりもした。
モディリアーニに頼まれて、
彫刻家のコンスタンティン・ブランクーシに
引き合わせたのもこの人で、
物心両面で援助し、最初の庇護者といわれる。
(注1)
背景の壁に「ユダヤの女」がかかってるね。
「ジャン・アレクサンドルの肖像」(1909)
ついでに弟ジャンのちょっと退屈そうな肖像。
「乗馬服の女」(1909)
これは、アレクサンドルが知人の男爵に依頼して、
その夫人をモデルにして描いた作品。
夫人の着ていた赤い狩猟用スーツを、
モディリアーニが黄色に変えてしまったため、
夫人が気に入らず、
アレクサンドルが買い取ることになった、
というエピソードが知られている。
「モデルの夫人が気に入らなかったのは、
スーツの色ばかりではなかっただろう。
戯画化された顔の表情や大胆な筆使いにも不満だったに違いない。」
(島田紀夫「アサヒグラフ別冊モディリアーニ」作品解説p85)
「モディリアーニは彼女の尊大なポーズのうちに
虚栄心を示すと共に、顔を極端に明るく描くことで風刺画的な
要素を出している。すなわち、卑しくすぼめられた口、
角ばった小さな顔の弓なりの眉毛などに効果が集中するように
工夫されているのである。」
(キャロル・マン『アメディオ・モディリアーニ』)
うーん。
こんなふうに風刺されたらやだね。
これまでの作品には、
まだ彫刻の影響というか、いわゆる
モディリアニー風の特徴がでていないことにも注目。
「赤い胸像」(1913)
アレクサンドルに彫刻家ブランクーシを紹介してもらい、
彼の住まいの近くに居をうつして、
本格的に彫刻に専念する時期が、
1911年から1914年まで続きます。
「現在知られている彫刻作品は、『立てるヌード』と
『カリアティード』と呼ばれている作品以外は、
25点ほどの『頭部像』だけである。その代わり、
彫刻に関連したと思われる多数のデッサンが残された。」
(島田紀夫「アサヒグラフ別冊モディリアーニ」作品解説p85)
これもそうした彫刻関連の水彩画のひとつで、
比較のために掲載。
「アントニア」(1915)
「1915年に描かれた「アントニア」の肖像は、
彼の様式化された長い首をもつ頭部彫刻を強く想起させる。
モデルが誰であるかが判明しているにもかかわらず、
ここでモディリアニの関心が構図の問題に
集中していることを考慮すると、「アントニア」はモデルの
性格表現の研究ではなく、形の研究として分類されるべきだろう。
この肖像画は気さくで優しい女性を表しているが、
しかしその取り扱いはけっして人間的なものではない。」
(アネッテ・クルシンスキー「アメデオ・モディリアニ 裸婦と肖像」
p42)
興味深い鋭い指摘だね。
ここでは、彫刻の形の研究が、
肖像画に応用されてるのがよく判る気がする。
「赤いネックレスをした婦人」(1918)
これは、「赤い胸像」(1913)の5年後の肖像画。
ずっと一貫してたのがわかる作品だね。
っていうか、理想的な形のイメージが先にあって、
そこに向かって描写していくっていう感じ。
以下はモデルになったひとのエピソード。
「1918年当時は美術を学ぶパリジェンヌだった
彼女は、育ちのよい若い娘の習いとして、
カフェに入り浸ることはなかった。
そんな彼女はモディリアーニを見かけたのは、
モンパルナスで食堂を営んでいたロザリアという
名のイタリア女性のところであった。
そこでは、腹をすかせた画家たちはデッサンや
スケッチを渡せば、食事ができたのである。」
「1959年に彼女が語った記憶は、
モディリアーニにまつわる伝説とは一致していない。
というのも、彼女の回想によれば、
モディリアーニは確かに酒を飲んでいたが、
それは不品行や悪癖によるものではなかったのだ。
当時の苦しい生活状況に追いつめられた彼は、
空腹と病を紛らわすためにアルコールに
頼っていたのだった。」
(「モディリアーニ展カタログ」作品解説 p160)
マンスフィールドさんの作品紹介、
いつまで続くのかな。
まだ話したりないみたいだね。
解説)
はずみがついたままというか。
注1)このくだりについての記載は、
「モディリアーニ展」カタログの
マリー=クリスティーヌ・ドクロークの作品解説や、
キャロル・マンの評伝『アメディオ・モディリアーニ』
によっています。
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