Jan 16, 2006
西遊記、顔
前の彼女から、年賀の羊羹が届いた。それで、前の彼女は結婚したので、結婚式の写真が載っていた。前みたいに動揺しなくて、普通に見れる。ドラマ「西遊記」を見ているのだが、ぼくは深津絵里のファンだからだ。昔の夏目雅子、堺正章、岸辺シロー、西田敏行がやってた「西遊記」みたいに、空が大きくて、みんな個性が強くて、夏目雅子はありがたく美しくというのとは、だいぶちがう。今のは、正直セットも含めておもちゃみたい。昔みたいにリアルではない。そして、全員がお人よしで、だまされやすく、鈍くさい。でも、そこがいい味出していて、21世紀日本の「西遊記」だ。ふかっちゃんも、ぼけていてかわいい。全員ぼけていて、そこが安心できる。昔のシリーズの印象からして、全然物足りないという人もいるかもしれないけど、あえてチープに作って、派手な映像や、セット、衣装にしていないんだと思う。そういう作り手の、どこか強い思想を、感じさせる。リアルにやっても、とうてい個性派ぞろいの、前のシリーズに勝ち目はない。というか、あえて、弱くすることで、前のシリーズにはない「弱い前向きさ」があるのだと思う。
ぼくは、今、病気というカテゴリーにくくられる事で、ある種の責任から免除されている。年金ももらっている。しかし、そこにも、苦しさはあって、責任、つまり、他者と向かい合い自分の行動に責任を取る、その責任感からくる顔の彫の深さを、手に入れられない。ぼくの顔は仕事をしてたときより、ふやけている。彼女も、外に出て帰ってくると、他の人との違いがわかるといっていた。さっきも、顔の話をしたけど、かっこよくないのである。そして、かっこよくないことは、やはり、生きる上で、とても辛い。顔の美しさを言っているのではない。人と人とのあいだに生きていることで、出てくる張りや緊張感のことだ。そういうのが今はない。病気はよくなってきたので、元気のない顔というわけではない。やはり、少しずつ人前にさらされていくことにしよう。それは、けして楽な道ではないけど。
今日は本を買った。書名だけ挙げておく。内田樹「街場のアメリカ論」、梅原猛「親鸞の告白」、上田紀行「生きる意味」、小浜逸男「人はなぜ働かなくてはならないのか」
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