Jul 18, 2008
コロー 光と追憶の変奏曲
《ヴィル=ダヴレー》《真珠の女》
七月十六日快晴。上野、国立西洋美術館にて。
庭には真っ白なムクゲ、清い香りのクチナシが咲いていました。
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(一七九六年~一八七五年)は十九世紀のフランスの画家。パリの裕福な織物商人の子として生まれる。コローは、画家になることを反対していた父親の許しをようやく得て、一八二二年、二六歳の時、当時のアカデミックな風景画家アシール=エトナ・ミシャロンやジャン=ヴィクトール・ベルタンに師事する。
コローは、森や湖の風景画家のみならず、「真珠の女」のような人物画家として優れた作品もある。一八二五年から計三度イタリアへ旅行し、イタリア絵画の明るい光と色彩にも影響を受けている。この時代は鉄道が発達して「旅行」が人々の文化を変えていった。もちろん恵まれた者たちだけだろう。コローは大変恵まれた環境に常にいられた画家だったのではないだろうか?
展示された作品は、ルーヴル美術館所蔵のコローの代表作を中心に、初期から後期までの作品、そして折々に描いた人物画。
コローは、「最後の古典主義者にして最初の近代主義者」と言われています。イタリアとフランスの風景画の古典的伝統のなかで絵を習得し、オランダの写実主義の巨匠たちやイギリス画家からも影響を受けました。また音楽、演劇などにも無縁ではなかった画家でした。一八六〇年以来、印象派からキュビストまで、世代をこえた画家たちがコローの作品を研究し、愛好しています。モネ、ルノワール、セザンヌ、ブラック、マティス、ピカソ、カンディンスキーなどなど。
《モルトフォンテーヌの思い出》
まぁ。ざっと書いてみましたが、なによりもわたくしが「コロー」の絵画を観たかったということに尽きますね(^^)。たとえばコローの風景画(最低でも、前後左右で四枚。笑。)に囲まれた部屋で暮せたらどんなに幸せだろうか?と夢のようなことを思うのです。その四点を選ぶなら「ヴィル=ダブレー」「モルトフォンテーヌの思い出」「ヴィル=ダヴレー 水門のそばの釣り人」「少年と山羊」・・・・・・。何故コローの絵画に惹かれたのだろうか?それは絵画が主張をしない。そして誘うからでしょう。その「ヴィル=ダブレー」の小道に誘われて、そっと足を踏み出したいような気持になるからでしょう。
「真珠の女」を見ていますと、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」に使われている絵の具の色によく似ているように思えました。これは確たる証拠もないのですが、絵の具の光沢感のようなものです。
招待状を下さったお方に感謝いたします。
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