Apr 13, 2009
哲学者 鶴見俊輔
12日、NHK教育テレビで、PM10:00から11:30まで放映された「哲学者・鶴見俊輔」のインタビュー番組がありました。聞き手は「黒川創」です。これは去年に収録されたものです。現在は体調をくずされて、ある3月の講演会が残念ながら、代理の方に変わったという情報もありましたので、寂しく思っておりましたが、鶴見さんのしっかりとした語り方をテレビを通して観られたことは幸せなことでした。さらに驚いたことは鶴見氏の眼光でした。決して鋭いわけではないのです。それはむしろ「明るい光」のようなやさしさのなかに、決して世界のあやふやな動静を見逃すまいという眼でした。そして少年のような笑顔、インタビュアーの質問に即答できる豊かな「引き出し」を感じました。
哲学者・鶴見俊輔(86歳)は、自分より先に逝ったさまざまな人に「悼詞」を書いてきました。鶴見氏の著書は膨大なものですが、この番組のなかでは、その「悼詞」を中心として語られていました。1951年、銀行家・池田成彬から始まって、2008年、漫画家の赤塚不二夫まで57年間で125人にも及ぶそうです。高橋和巳、竹内好、志賀直哉、寺山修司、手塚治虫、丸山眞男、小田実などなど戦後日本に大きな影響を与えた人たちに送った「悼詞」です。この「悼詞」に登場する人々から、鶴見氏はさまざまな考え方を授かったことに感謝しながら、生きている者の使命として、まだ語り残さなければならないことが、多くあるとのことでした。それはまた鶴見氏の残された時間との戦いでもあるのでしょう。
鶴見俊輔は、知識人の戦争責任(転向)、原爆、60年安保、ベ平連、憲法九条の会、など精力的に活動し、ふつうの市民(ここが大事な点!)と共に歩いてきました。こうして鶴見氏は「死者125人」の「戦後」を見つめ続けてきました。
このインタビューのなかで、最もわたくしの心に残ったものは「人民の記憶が大事なものであって、国家の記憶などは意味がない。」という言葉でした。たとえばかつての戦争で、自らの意志ではなく、戦場に行かされた人民が、家族にさえその実体を隠すことなく語れた者がいただろうか?という言葉でした。
もうひとつのお話は、アメリカ留学中に鶴見氏は実際に「ヘレン・ケラー」に会っています。お互いに大学が近かったそうですが、彼女は大学でよく学びました。もちろん鶴見氏も不良少年、自殺願望少年を経て、よく学びました。しかし大学を卒業した「ヘレン・ケラー」は、その学んだものを「学びほぐす」ということを実践したそうです。
* * *
国家はすべての冷酷な怪物のうち、もっとも冷酷なものとおもはれる。
それは冷たい顔で欺く。
欺瞞はその口から這ひ出る。「我国家は民衆である。」と。
(ニーチェ 「ツァラトゥストラはかく語る。」)
死んだ人たちの伝達は生きている
人たちの言語を越えて火をもって
表明されるのだ。
(T・S・エリオット「西脇順三郎訳」)
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記憶がホットなうちに急いで書きました。パスカルのように(^^)。
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