Sep 03, 2005
キャラバン
この映画は、フランス人監督「エリック・ヴァリ」によって、一九九九年に制作されたものです。その時映画館で観ましたが、忘れられない映画となりました。NHK衛星第2で9月2日に放映されましたので、再び観る機会に恵まれました。
チベットに限りなく近い北ネパールのドルポ地方では、黄金色の小麦畑が豊かな実りをみせている。映画はここから始まる。長老の「ティンレ」は、その孫の少年「ツェリン」に「これだけの小麦では、村人の食料には足りない。」と教える。その時期に、もっと小麦を手に入れるために「塩」の交易に行っていたキャラバンが帰ってくるが、そのキャラバンの荷役の「ヤク」の背中には、少年の父であり、やがて長老となるはずの長老の息子「ラクパ」の遺体があった。事故死であったのだが、長老は同行したラクパの友人「カルマ」を疑う。
これによって、次のキャラバンへの考え方が村人の間で大きく動揺することになり、キャラバンは、「カルマ」派と「ティンレ」派の二つの隊に分かれることになる。「ティンレ」は出発の日を今まで通りに占いによって決める。この隊に加わった者は老人たちと「ツェリン」とその母親、そして「ラクパ」の弟の僧侶であった。「カルマ」は若い男たちと共に、占いで決めた日を無視して、先に出発をする。
しかし、「ティンレ」の知恵は、「カルマ」の若さに追いつき、その先の山の吹雪までを予測した。キャラバンは無事目的の地へ辿り着き、長老はそこで、次の長老を「カルマ」と決める。躊躇する「カルマ」に長老はこう言った。「反抗するところから、真の長老は生まれる。」と。この二人の行動を澄んだ眼で見つめ続けていたのは少年「ツェリン」だった。
ヒマラヤの大自然の厳しさと豊かさに抱かれ、かつ試されながら生きてゆく人々の簡素で逞しい生命力がまぶしい。引き継がれてゆく「よき知恵」と「尊いいのち」、わたしは、こんなふうに生きたいと何度願ったことだろう。願いは願いのままで終わるが、このように生きる人々がこの地上のどこかにいることを忘れないでいたい。
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