Jul 08, 2009
ドゥイノの悲歌ーメモ1
リルケの「ドゥイノの悲歌」につきましては、以前に簡単なメモを書きましたが、再びこの「難物」を小さな力を振り絞って、少しずつメモを書くことにしました。テキストは主に古井由吉の「詩への小路」の後半部にある「ドゥイノ・エレギー訳文1~10」といたします。このメモをまた書くきっかけとなったのは、原文を読み解ける詩友のI氏の「ドゥイノの悲歌」の翻訳と解釈への挑戦によって、飛び火を浴びた(?)状態の中で、ドイツ語がまったくわからないわたくしは、新たな展開を目にする機会に恵まれたからなのです。感謝いたします。
わたくしはこの悲歌を正しく理解できているという自信はまったくありません。けれども理解の困難な詩に出会った時に、自らに用意するものは漁師のように「潮流を読む。」というような視線ではないか?といつでも思います。それから詩は必ず「人間の孤独あるいは絶望」から生み出されるものではないかと思っています。その孤独をどこまで見つめ、熟成させて、言葉にするまでの「再生の時間」が「詩作」ではないかと思っています。これは「天使」にもっとも遠いところで行われることであって、「天使」と隣接する世界で行われる営為ではないと思います。
過日、ある詩友が「神との境界」に隣接する者のみが、芸術家たりうる、というようなことをおっしゃっていましたが、これには違和感があります。この違和感の記憶がこれを書かせているのかもしれません。
「ドゥイノ・エレギー訳文 2」のなかで、古井由吉はこう書いています。
『訳すとなると時制(テンス)の自在さに躓く。(中略)しかし、原詩の「時」はさわらぬほうがよい。』
作家である古井は、おそらくリルケの詩のなかにおける時間の自在さ、悲痛ともいえる時間の跳躍に振り回されることになったような気がします。「さわらぬ方がいい。」というのは、小説や散文としてでは成立させることはできない、詩という魔物をそのまま生かしておけ、そして自由なまま動かしてみるしかないだろう、という意味かもしれません。
この悲歌は、1912年から1922年まで、10年かかって書き上げられたもので、その間には「第一次世界大戦・1914年~1918年」がありました。この時代背景を見逃すわけにはいかないでしょう。「若い死者」のイメージを肥大させた大きな要素ではないだろうか?
さらに関連することは「マルテの手記」が1904年から1910年の6年間で書かれています。この「マルテの手記」の主人公の光と影が「ドゥイノの悲歌」に尾を引いているように思えますが、いかがなものだろうか?それは「天使」であり、「死者」であり、生きている自分自身なのであって、この混在が光と影を織り成してゆく。時を超えながら。。。
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