Apr 18, 2009
哲学塾 土屋賢二
(ソクラテスに水を浴びせるクサンティッペ)
オランダの画家オットー・ファン・フェーン・1607年の作品
サブタイトルは「もしも ソクラテスに口説かれたら―愛について・自己について」となっています。これは土屋教授が勤務する「お茶の水女子大学」におけるゼミの実況中継のような形となっています。テキストは「プラトン」の書いた対話篇「アルキビアデス篇1・田中亨英訳」からの抜粋です。ちなみに「ソクラテス」自身は著書を持っていないようですね。これらの哲学問答は、弟子たちによって残されています。
「アルキビアデス」も「ソクラテス」の弟子の1人で、彼は才能、容姿、家柄、人望全てにおいて卓越した人物であったようです。つまり「アルキビアデス」は「ソクラテス」の「ティーチャーズ・ペット」だったわけですか???テキストの最後の部分だけ、「ソクラテス」の言葉を引用します。
「君を恋する者は誰にしろむしろ君の魂を恋する者だね。」
(中略)
「・・・・・・クレイニアスの子アルキビアデスを恋する者は誰もいなかったし、そして今もいない。どうもそうらしい。ただたった1人いる、例外だね、その人は。その1人の人で満足しなくちゃいけない。つまりソプロニスコスとパイナレテーとの子ソクラテスでね。」
「ソクラテス」はどうやら結論としては「アルキビアデス」に「わたしはあなたの顔も性格も嫌いですが、あなた自身の魂を愛しています。」と言ったことになるようです。ここから土屋教授と女子学生たちとの哲学問答が開始されたのでした。相対する言葉との関係性における学生から湧き出してくる矛盾、反発、疑問などが教授に投げかけられ、それらに丁寧に、時にはムキになって(^^)教授は答えています。この長い問答のなかで、学生は徐々に「日常的な曖昧な言葉のイメージ」から「哲学の言葉」としての構造と考え方を習得していったようでした。
この本の帯文には・・・・・・
きみって誰?
愛にひそむ哲学の罠―
罠にはまる方法・脱出する方法
・・・・・・と書かれています。ソクラテスはほとんど独力で、このような理屈の世界があることを発見し、それが「哲学」の第1歩だったわけで、ここから考えてみることも時には必要かもしれません。教授の最後の言葉は「そういう世界にちょっとでも入って迷ってみると、自分の思考力に自信が持てなくなるでしょう?そうじゃないですか?ぼくも自信がもてないんですよね。じゃあこれで終わります。」でした。これで教授の目論見はわかったなぁ(^^)。
ソクラテスは政治家、芸術家、職人、知識人など、さまざまな人々に対してこのような問いかけを死刑になるまでやり続けました。おそらくソクラテスの脱獄と亡命を手伝おうとした弟子たち、あるいは牢獄の扉を開けたままにしておいてくれた牢番にも、同じく問いかけたのかもしれませんね。そしてソクラテスは権力者による死刑よりも、みずから毒を飲むことを選んだのでしょうか?
(岩波書店・2007年刊)
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