Oct 01, 2008

日本・日本語・日本人  大野晋・森本哲郎・鈴木孝夫

Brueghel-tower-of-babel

 この本は、2000年に上記の三人の方の三回の対談を単行本化にしたものです。その対談の間には、三人の言葉に対する短い論考もはさみこまれていますので、対談の散逸性を整える役割と、対談では表出されにくいであろう、それぞれの個人の意見も読めました。

 《論考ー森本哲郎》
 森本哲郎の論考は「はじめに」と題されて、序文の役割もしています。森本氏は旧約聖書の「創世記」の「バベルの塔」を例にあげて、人間の築く文明と文化の原点が、なによりも「言葉」にあることを示しています。言葉は単なるコミュニケーションの道具ではないと。。。

 《論考ー大野晋》
 大野晋は、日本の弥生時代に「水田耕作」「金属使用」「機械」という複合文明が一挙に北九州から始まったのは、日本人が輸入して真似たものだと言う独自の説をおっしゃっています。その文明とともに「言葉」の輸入先は、南インドのタミル地方にある。たしかに「アゼ=畦」「ウネ=畝」などの共通した言葉があるのですね。賛否両論あれど、これが大野晋説でした。これは中国の漢字よりも、日本の外から来た言葉としての歴史は早いのですね。

 《論考ー鈴木孝夫》
 鈴木孝夫は日本における英語教育の背景と歴史に触れています。戦後の日本は米国の植民地と同質だったわけですね。米国のお仕着せの立法にはじまり、歴史、英語、思想教育、すべては米国の支配下にあったわけです。ここから日本と日本人と日本語の混迷が始まったわけですね。

 *   *   *

 日本人の歴史の常態は「戦争」ではなく「国内安泰」が永いという特色があります。その弱点が「敗戦」と共に、独立戦争も内乱もない戦後を招き、米国のもとで生ぬるい植民地状況を作ったわけで、この世界に類のない国に起きた「言葉」の混迷でもあったのでしょう。

 これを読む途中で、下記のようなニュースがはいりました。これは常用漢字をまたまた削除するというニュースです。

「常用漢字:見直し修正案」

 奈良時代に漢字が日本に入ってきてから、漢字文化は最高の教養とされてきたわけです。しかし、戦後になってアメリカの支配下において、ローマ字と片仮名文字が隆盛をきわめました。漢字撲滅が次々に行われたわけです。
 大野晋は国語審議会委員をお辞めになりました。(1966年(昭和41年)から3年間)その大分後に鈴木哲郎も腹に据えかねてお辞めになりました。(6年間)鈴木哲郎が辞任の時に、文部省の庶務課長が「勲章対象から外されることをご存知ですか?」と訊ねたそうです。ここで芥川龍之介の言葉が引用されています。「勲章なんかぶら下げて喜ぶのは子供と軍人だけだ。」

 「小学校時代のローマ字教育は、なんの意味があったのでしょう?」←独り言。

 (2001年・新潮社刊)
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