Feb 09, 2007
兄中原中也と祖先たち 中原思郎
わたくしの昨年の十一月二六日の日記に書いてありますように、一九七三年には講談社より、「私の上に降る雪は・わが子中也を語る 中原フク述・村上護編」が出版されています。この本は四男思郎によってその三年前に出版されたものです。前半の兄の中也に関する記述においては大岡昇平などの協力が大きいのですが、後半の「祖先」に関する記述は天正年間(一五七三年)まで遡って書かれておりますので、この協力者は膨大な方々に及びます。「祖先」の後半部からは「「近い祖先」となって中也たちの祖父母からのことについて書かれています。
わたくしが古本まで取り寄せて読んだのは、一つの点だけ確認したかったことがあったのです。思郎がこの本を書く時に、「その話はやめて欲しい。」と母親のフクが頼んだ、ある事件です。しかし思郎は「それでも兄貴がぼくにそう話しておったから。」と答えたそうです。フクは口述のなかではこの事実を否定しています。これが中也独自のアイロニーであったのか、実話であるのかは知るよしもありません。しかしこの本では思郎は書いていました。それは中也へのお仕置きとして、厳格な父親謙助が中也を庭の松の木に吊るしたという事件です。しかしこれは母親フクと祖母によって行われたことのようでした。
何故わたくしがこれに拘るのかはちょっと説明できないのですが、「恐怖」への感受性においては、子供は大人の何十倍ももっているのではないのか?という考え方からかもしれません。だから子供だけは大人に守られるべき時間を充分許されていると思うのです。
わが生は、下手な植木師らに
あまりに夙く、手を入れられた悲しさよ!
由来わが血の大方は
頭にのぼり、煮え返り、滾り泡だつ。
(これは中也の詩「神童」の一節です。)
極論が許されるなら、中原家の生命は母親フクに集約されているかのようです。フクは百歳近くまで生きましたので、養父母、実母、夫、息子、孫にいたるまでの臨終をみとっているのです。思郎の言葉を引用すれば「中原家はすなわちフクであり、フクが生きている限り中原家はある。」のだと。。。
中也の死については、思郎は「中原家から『聖なる無頼』が消えた。」と記述しておりますが、母フクは中原中也の詩碑の除幕式において「チュウちゃんが、中原家四百年の歴史のなかで一番偉かったのじゃろうか。」と言い、中也の写真の前に打伏して動かなかったと。。。
(一九七〇年・審美社刊)
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