Dec 16, 2006
吉本隆明の読む「明石海人」―その1
十一月十七日の日記に「ハンセン病文学全集・8・短歌(その一)」を書いて、最後に「つづく」と書きましたが、その代わりとして、これを書いておきます。これは二〇〇四年秋に書いたものですが、少し書き直しをして再録しました。
吉本隆明著「写生の物語」は、短歌と和歌に関する評論集です。このなかで吉本は歌人「明石海人」について書いています。この章はわたくしがここ数年来胸のうちで「病と言葉との関係」について揺れ続けていた疑問への解答をいただいたような気がするのです。吉本は海人の作品を「療養所文学」あるいは「ハンセン病」という括りのなかで読んだのではなく、「困難な病と言葉との均衡関係」について書いているのです。わたくしは下記の一首が明石海人の歌人としての個性をもっともよく物語っていると思いますが、どうでしょうか?
あかあかと海に落ちゆく日の光みじかき歌はうたひかねたり
まず、吉本隆明は明石海人の短歌を、ハンセン病の初期症状の段階と非常に病状が進んだ時期に書かれたものを、分けて批評しています。初期の明石海人の短歌は、病への恐怖と絶望感のなかにあっても精神の均衡は整っていましたので、作品の透明感はこの段階では保たれていると吉本は見ています。まず初期の短歌を。。。
人間の類を遂はれて今日も見る狙仙(そせん)が猿のむげなる清さ
診断を今はうたがはず春まひる癩(かたい)に堕ちし身の影をぞ踏む
しかし、吉本は海人の病状が進み、意識不明に陥るような状況が頻発する時期に書かれた短歌は、その痛切さのために短歌にあるべき音韻とリズムの乱れが見えてくると指摘しています。この時期の海人の短歌にはたしかに一首に盛り込むことが不可能と思われるものを盛り込んでしまったという「過剰性」が見られます。この特徴が海人自身の個性によるものか、彼のおかれた状況の痛切さによるものなのかを「解体」するために、吉本は海人の「叙景歌」のみを引き出してきて考察を試みるというもしています。そこから吉本は海人の歌人としての資質を探ろうとします。下記の短歌(1)(2)は病状の深刻な時期に書かれたもの。(3)は叙景歌として抜き取ったものです。
(1)しんしんと振る鐸音に我を繞りわが眷族(うから)みな遂はれて走る
(2)息つめてぢゃんけんぽんを争ひき何かは知らぬ爪もなき手と
(3)庭さきにさかりの朱(あか)をうとみたる松葉牡丹はうらがれそめぬ
そして吉本は下記のこれらの短歌に出会って、ようやくほっとする。ここには音韻とリズムが充たされたのちに、明石海人の短歌は天上に届いたと一旦は断言するのですが……。
鳴き交すこゑ聴きをれば雀らの一つ一つが別のこと言ふ
嚔(はなび)れば星も花瓣もけし飛んで午後をしづかに頭蓋のきしむ
(講談社・二〇〇〇年刊)
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