Apr 24, 2006
孤独を生ききる 瀬戸内寂聴
「人間はみなそれぞれに孤独でしょう。」と言うわたしの発言に対して、「孤独についての解釈は、欧米文化と日本では異なる。」と教えていただいたことがある。「孤独」を広辞苑でひくと「みなし子と老いて子なき者」となる。さらに「鰥寡=かんか」をひくと「妻を失った男と夫を失った女」となる。これは情況としての孤独のようですね。魂の問題ではないようです。
この本は九年前に死んだ独り身の姉の書棚にあったものでした。大半の書籍は姉やわたしの友人に差し上げましたが、何故か気になって手元に残した本のなかの一冊でした。ここに書かれている「孤独」もやはり情況的な孤独であったと思いました。さらに瀬戸内寂聴の「孤独」とは仏教と重ね合わせてどのようなものであったかは、かなりあいまいである。
はたしてこの本を読んだ人々が瀬戸内寂聴が「はじめに」のなかで書いてあるように「あなたの孤独が私の孤独に溶け込み、吸収されますように。」という願いが届いたのだろうか?という疑問が残る。死んだ姉がこの本によって癒されたとは到底思えない。確信しているのだが、死んだ姉を一番理解していたのは、このわたしだからだ。
今日は病院に行った。病院は老人が多い。(あら。あたしもそうかしらん?)今日見かけた老人は、医師だけに辛い身体的症状と生活上の困難さを訴えるだけでは気がすまないらしく、待合室では周囲の人に語りかける。診察が終われば会計の受付の事務員に訴える。処方箋を持って薬局に行くと、そこでは薬剤師に訴える。その「訴え」は当然わたしの耳に届く。彼が独居老人だということもわかった。こんな時に前記の「孤独」を思い出して、実に日本的な風景だなぁと思うことがある。
(一九九二年・光文社刊)
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