Mar 11, 2006
北原白秋 三木卓
大きなる手があらはれて昼深し上から卵つかみけるかも (雲母集より)
この評伝は「短歌研究」に四十一回の長期連載という経緯があり、二十五年間筑摩書房が三木卓氏の原稿完成を待ったという経緯もある。それほどに北原白秋のあの時代を背負った仕事は膨大なものであり、その生き方も熱く、多彩なものであったと、わたくしはあらためてそれに気付くのだった。そしてこの本のなかにおける三木卓の白秋解釈あるいは批判の言葉には時々キラリと光るものがあって、心が躍った。
この本を読んでいる時期に、わたしは幾人かの若い詩人に出会う機会があった。彼等は咽喉元から自然に発せられる音や、指先から流れ出る言葉によって詩作しているかのように見える。若い感性はそれを力とできるのだろう。その「若さ」がどこまで持ちこたえられるかと思う時、北原白秋の貪欲とさえ思える「言葉への執着」「愛着」というものが、時を超えてわたしに迫ってきたように思うのだった。若い彼等の作品が百年の時を超えてもなお、白秋の詩、短歌、童謡のように、人々がふいに口ずさむような一節を残せるのだろうか。(あ。わたくしの詩は、死とともに柩に納めてもらうつもりです。おかまいなく(^^)。。。)
三木卓が最終章で書いているように、「夭折する詩人は短楽章だけを作って終わるが、白秋は幾人もの詩人の仕事を多楽章にわたってしなければならなかった。」のだろう。その多岐にわたる仕事量の膨大さを支え続けたものはなんだったのだろう?
そのはじめにあったものは、白秋の潤沢な少年時代ではないだろうか?それが天性の白秋の才能をゆたかに実らせた土壌であったことは認めざるをえない。では「貧しさ」はどうか?という反論ももちろんあるだろうが、あえて極論を言えば、潤沢が許された者はそれを存分に享受すべきだ。それは三木卓の言葉を借りれば「作品は生身を代償にして成立する。どのような作家でもこの条件を逃れることはできない。」「最後まで彼を捉えて離さなかった心の飢えの深さ(あるいは自己消耗への強烈な欲望)の結果」という真摯な心の作業を白秋が生涯をかけて継続したということで、充分に相殺されると思うからだ。
・・・・・・と言っても白秋が純粋に文学に向き合ったということだけではない。彼はその時代(与謝野鉄幹、晶子の後を歩き、萩原朔太郎の先を生きた。)の見事なパフォーマーであったし、高名ともなれば政治的野心も働いたし、「戦争」への向き合い方には三木卓の厳しい批判もある。さらに自らの老いとの哀しい葛藤もあった。
さて、わたくしは一応女性でありますので、白秋の三人の女性(他にもいるのでしょうが。。。)にはおおいに興味がありました。まず一番有名(?)な女性問題は、人妻「俊子」との恋愛によって姦通罪で投獄されたことでしょう。出獄後にも共に暮したということがいかにも白秋らしい生き方だったと思うが、破局はやはり訪れた。
わが睾丸つよくつかまば死ぬべきか訊けば心がこけ笑ひする
罪びとは罪びとゆゑになほいとしかなしいぢらしあきらめきれず
監獄(ひとや)いでぬ走れ人力車(じんりき)よ走れ街にまんまろなお月さまがあがる
次に登場するのは「章子」である。ううむ「あきこ」はいい。「晶子」はわたくしにとって最高と思える女性であるし、「昭子」はわたくしである。なかなかよろしい(^^)。すみませぬ。お話がすべりましたが「章子」は白秋の文学的理解者として結婚。病弱であった。やがて彼女も白秋の元を去る。ここまでの白秋は「結婚生活」というものと「文学」との重なりのなかで生きたと思える。文学的理解者が必ずしも文学者のよき伴侶ではないことの顕著な例と言えるでしょう。
三人目の妻として「菊子」が登場する。二人の子供を授かり、どうやら安定した平凡な家庭生活を得たようだが、家族の絆はいつでも人間という不完全ないきものが作っているものである以上、あやうく成立していることは言うまでもないことだ。それを支えたのは菊子だろうとおもいます。
この著書は北原白秋と三木卓とが共に抱え続けている、物書きの茫漠とした宿痾のようなものの響き合いではないだろうか?それがこの著書全体をより高く昇華させたのではないかと思われます。三木の少年期にはすでに白秋はこの世にはいない。友人、弟子、家族というような「しがらみ」のない距離感が、三木のペンを自由に走らせて、二十五年をかけて書き上げた労作である。三木卓に「ありがとう。」と申し上げたいだけで、実はわたくしごときが、他愛のないことを書くことは恐れ多いのである。
(二〇〇五年・筑摩書房刊)
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