Jul 04, 2005

小人の世界

  

 メアリー・ノートンの「床下の小人たち=The borrowers」「野の出た小人たち=The borrowers A field」は、この原題からわかりますように、「小人たち」は「借りる人」なのですね。この小人たちは普通のサイズの人間の世界の片隅で、人間の暮らしからさまざまな、暮らしに必要なものを借りて生きているのです。ひっそりと。 たとえば糸巻きは椅子に、マッチ箱は引き出しに、安全ピンはドアーの錠前に、編み上げ靴は野の家に、切手は額縁に入れて壁に飾る絵画に、石鹸箱の蓋は舟に、という風に。そういえばわたしが失くした、たくさんの「まち針」は小人の仕業だったのかしらん?  「借りる」と、小人たちは言っておりますが、実は普通サイズの人間社会では「盗む」ということになりますね。でもほんのわずかですから、ほとんど人間は気付かれないし、影響もない。そうして人間の家の床下で暮らしていたのですが、ある日みつかってしまう。そして野に出て暮らすことになるのです。床下の暗い生活から、陽の明るい、しかし風雨も雪もある暮らしが待っているのです。

 この小人たちは、なんの魔力も霊力もない、普通の人間が小さくなっただけなのです。読みながら同じ気持でドキドキしたり、ほっとしたり、おなかをすかせたり、疲れたりしている自分がいるのです。この小人たちにもしも触れることができたなら、きっと体温もあるのでしょうし、時には汗くさいかもしれません。これを書いているわたし自身も実は小さいのです。しかし体重は40キロあるぞー。小さいがために、スチュアーデスと女優とモデルの職業は断念せざるをえなかった。あ、断念の事情は他にもありますが、細かいことは聞かないで下さい。ゆえに、ジャイアント馬場と並んだら、きっと世界の見え方が違うはずだよーと思ってしまう。ちなみに、かつて東京駅の新幹線のホームで、ジャイアント馬場とすれ違った実体験があるのです。あの時のわたしの感覚としては、彼のお腹のあたりとすれ違ったような・・・・・・。わはは。

 この二作を何故読みきることができたのか?と思う時、「ハリー・ポッターと賢者の石」を思い出します。わたしは「ハリ・ポタ」は実は楽しくなかったのです。後で言い知れぬ不安ばかりが残った。そしてあの魔法使いの少年少女たちは、この先もわけのわからない魔物に遭遇し続けるのだろうと思うと不安でならなかったのです。不安や恐怖の対象がなんであるかわかるということと、わからないということの違いはとっても大きい。わからない面白さを楽しむという人は多いかもしれませんが。

 わたしが子供時代に読んだ物語の代表は、フィリパ・ピアスの「トムは真夜中の庭で」でした。真夜中に十三時を告げる時計、現在の少年と過去の少女が時を超えて逢うお話です。トムと少女のどちらが幽霊なのか?そうでないのか?物語の楽しさはきっと、ほんの少しだけ日常を超えることのできる楽しさなのでしょう。そして「ほんの少し」と思うことが実は「途方もなく遠い」ということなのでしょうか。
Posted at 21:39 in book | WriteBacks (0) | Edit
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