Jul 03, 2005
孤島 ジャン・グルニエ (見れば一目で・・・)
この本のはじまりで、わたしは「虚無」を読みとってしまいましたが、この終章でどうやらそこから抜け出すことができたように思えます。けれども、この本の奥深くにまで、どうしても届かない「もどかしさ」、あるいは「断念」と言うものは拭いきれない。それは、わたしがこの一冊の本のなかに描かれている土地も海も訪れたことがないからかもしれません。それが「旅への憧れ」という心に軽やかな羽根をつけることには、ついにならず、静かな湖のようにわたしのこころの底にとどまることになってしまったのは何故だろう?「地中海」・・・何故そこを遠いと思うのだろうか?訪れることはないだろうと何故思うのだろうか?いつでも行けるところなのに。
『はじめて私は地中海を見た。私が知っている大洋は、つねに動き、たえず懐妊の状態にあるもの、私の懸念と不安の心象でしかなかった。私自身のまんなかに、どっかりと腰をおろすには、そのような青い巨体が必要であった。変化のないその海岸は、あなたを悠久の観念にさそう、――修正のないデッサンがあなたに完璧を思わせるように。』
「青い巨体」・・・「海」というものへの名付け方をわたしは初めて知ったように思う。ジャン・グルニエは幾度もこの本のなかで、非常に美しいものや、大きすぎるもの、心の最も深いところなど、名付けようもないものへの名付け方を教えて下さった。
『私を呼ぶこのおびただしい光りに答えるには、私のなかにはまだまだ影が多すぎる。生の力がおそろしいまでに私にせまって見えるのだ。しかし、この生のはじまりは、じつに美しい!私の生は毎日新しくはじまる。』
この本の最後はこのように終わっています。そしてこの章のはじまりは『どこかほかのところへ!』でした。これはどうやらロンサールのこの詩を踏まえているらしい。
旅立とう、ミュレよ、ほかのところへ求めに行こう、
もっとよい空を、もっとよい他の魅力を・・・
のがれよう、のがれよう、いずこかへ・・・
ほかのところに、永遠の休らいに生きるために。
生きているわたくしたちは、そこに留まることはできない。日々は、美しい小さな旅立ちの連続であり、後へ引きかえすこともできない。今日はわたしの誕生日です。
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