空の、大きな穴

空の、大きな穴
                  
三井喬子



空には大きな穴が開いているのだが、それはドラゴンが昇った穴なのだが、
焦げたバターのような脂を滴らせているのだが、いかんせん龍の鱗のよう
なものは見当たらず、ただ不規則に、黄金色の油がぼたりと落ちてくるの
であった。

不規則であることは怖い。何時喰われるかと気が気でない。そろそろ来る
かと思うその一瞬前に一撃が来るから、幼く無防備な身体は一たまりもな
く崩れ落ちる、崖。
親愛なる君よ、もしもそれを君ならば、崩れ落ちる、吹き払われる。それ
を抱きかかえることができるだろうか、君は。

壊せなかった小さな物語の中、感応する身体である。
寝取る女は、背中に眼がある。さする掌とさすられる肌には、億年の官能
が燃える。時間は何事かを消し去るが、目くるめく衝動はさらに燃えさか
る。国立の女は、背中が痛い。
ルーツがおねだりしたように、夜は更ける。国立の女は背中が痛い。背中
が痛いのよと、囁く。

悲しみは不意にやってくる。闇の中から、明るい朝の陽射しの中から。背
中が痛いのよと、やってくる。
ねえ痛いのよと、国立の女は囁く。
わたしは忘れない。なぜなら忘却は死と共にしかこないものであるから。
罪は一声あげて倒れた。

泣きながら、忘却の穴を潜る。
わたしは人間です。死につつある者です。わたしの一生は甲斐のあるもの
ではなかった。いつも寂しかった。いつも涙が友達だった。寂しかった。
国立の女のように寂しかった。

寂しい女よ、
子持ちの女よ、
わたしも一人の人間です。
寂しい、寂しい人間です、
いくら涙を拭っても、一人だけでは寂しいです。
ドラゴンの
黄金色の涙がぽたりと落ちて
空の情事が背中で燃える。
明日は、良く晴れるだろう。