二つ池
岡田すみれこ
「十月」
会いに行こうと決めて森の中を歩いてきたのに
池はやはり無口な隣人のように素っ気ないのだった
ある日柵に「水質検査の実施日程」という札が下がっていたので
その朝は急いで池に向かった
しかし人の気配も器物の様子もまるでなくて
二つの池はおとなしい竜の双眸を思わせて緑の水を湛えている
誰も来なかったの?
誰も来なかったよ
秋が空を覆って水面に朽ちた葉を投げている
何度でも会いに行くとひとりで決めた
それは約束ではなく長い時を経て熟した想い
鬱蒼とした森を迷いながら歩き ぬかるみをたどって池を見つけたあの日
抱えていたものをそっと下ろしながら
ふたつの池が双子のように寄り添っているのを見る
きっともう誰も来ない わたしとあなた以外
「十二月」
池は凍るだろうか とあなたが言った
わたしは鍋のスープをかき混ぜながら考える
もっとむかし わたしたちは森の中を歩きながらいろんな話をした
森のはずれに池があることは知らなくて
ぐるぐる歩いては戻ってくるのだった
ふたりでいることに意味があると思っていた
どこかを目指そうとは思わなかった
やがてわたしはひとりで森の近くに引っ越してきて
ある日 ふたつの池に出会った
何度でも会いに行こうとその時決めた
還ってきた森を隅々まで歩く
むかし 抱えていたものの重さに気がついたのは
下ろしていいとあなたが言ったからだった
二つの池に出会ってさいしょの冬がくる
静寂の粉雪も見てみたい
凍てつく朝もあるだろう
晴れた日も曇り空の午後もあなたは森にくる
けれど夕焼けの頃には街に帰るので
漆黒の闇夜と震える夜明けはわたしひとり
凍った池に会いに行くときはまた 泥濘の叢を辿って行けばよい