君は絶望の声を聞いたことがあるのか?_2021_12_01初稿

君は絶望の声を聞いたことがあるのか?_2021_12_01初稿

冨澤守治

--詞書:コロナウイルスのわざわい、その証言としての詩--

「絶望」という事象は、よく「暗闇」にたとえられる。
それはわたしたちの「こころ」の向かう方向が「見えない」からだ。
地の底から聞こえてくる声、恐怖に囚われた「謎」、「絶望」。



-定義-
君は絶望の声を聞いたことがあるのか
それは深い痛みのうめきであり
いかなる罪もないひとが苦しむことなのだ

君は知っているか、絶望とは
この大地には大きな疵(キズ)があり
そこからも響いてくる
日々の生活どころか
生存の希みさえも奪おうとする

快い春か秋かの、穏やかな夜風の吹く
その土地の遠い山の奥からもはるかに響いてくる
今という時代も古代という過去からも、そう
「人類」は聞いていた
そしておびえていた、不安

わたしの先祖が戦士としての武士であったとしても
恐れた灼熱、この大地を焼き尽くす、絶望は

悲しみ
苦悩というよりも迷うことのない、苦痛をともなう

皆が絶滅しないようにと願えども、この日々の
日常を、席巻してど巻にする破滅は
来たりて、われわれを覆う

わたしがいう絶望とは、そのようなものだ
社会にとっては「魔」の神、生存の希みさえも奪おうとしている
遣る瀬無いことだが


-現状-
こころの果てるもの

君はこの数年
そんな絶望の声を聞いていないだろうか?

そして加うるに
こんなことをつぶやいて何になるのか
ただの嘆きであるのか

しかし苦悩と苦痛と
戦慄と現実の死亡は確かに存在して
われわれは、何者かであるわれわれは
日々、目にしているのだ


-そして、これから-
あと、どれほど歩けるのか?
あと、どれほど待てるのか?

問う声ばかりが、当て所(アテド)なく
声にもならずに、毎夜
電波のなかに飛び交っている

直接に話ができないから
警戒心を緩むことができないから