古塔
海埜今日子
また、あの古い塔をみた。散歩の途中、あるいはどこか近郊に赴いたとき、それは姿をあらわす。思いがけない入口のよう、けれども、いつもすこしの遠さがあった。丘のむこう、よく育った丈のたかい夏野菜や、葦の群生のむこう、川のあちらがわ、高台の売却地に茂った草、崖の上、雲のした、おおむねの西の方角に。
いつも、ではなかった。以前みた場所に、でかけてもかなわなかった。夢の中でだけ会える人々との逢瀬のように、カワセミがよこぎるのを目撃したように、初雁のように滑空するマガモと遭遇したように、季節になるとその存在をやさしく思い出させてくれる、ホタルブクロ、カラスウリ、ヒガンバナ、あまたの花たちのように。
日没がにぎやかだといった、いないひとよ。夕焼けが川面をうっすらと肌色に染めている。その上流のほう、または毒をおびて、あざやかな朝焼け、ああ、天気がくずれるのだな、どちらも西の空、みとれながら、彼をおもう、そのとき、染まった空たちが、にじみあって、のように、塔がそびえるのがわかるのだった。
あの、丘のむこうの木の名前がわからない。すっくと立って、毎年おとずれるたびに、もどかしかった、あれも塔だ、わからないまま、伐採されて、そのむこうに気配を感じた。水のない田んぼ、枯れたまま、銀色にそよぐススキ、へびのぬけがら、しっぽの短いトカゲ、カマキリの卵。用水路のむこうに、ゆく道がみあたらない。
ちいさな遠さと、ぬくもり。わずかな断絶と、いつくしみ。なぜ夜に、塔はかんじられないのだろうか。他人の夢に、そびえているからかもしれない。塔のあかりが、みえないからかもしれない。夜の虫が鳴いている。カネタタキ、マツムシ。月がしらないうちに、ふくらんでいた。部屋のなかでクモを逃がす。あかりがゆらぐ。
古い塔は、昼のなかで、ねむって、わたしは、どこかで起きて、だから、たどりつけないのだろうか。橋の上で轢かれてしまった鳩、その痕も西の空だ。川のまんなかでヘラサギがさっそうと、崖には雨が降った後だけ、あらわれる湧き水、その奥にて、あちらで、たとえば塔は、気配をうんでいる。なんとあざやかな、いないひとよ。