岡田すみれこ

いつの間にかそんな遠くへ
独りで漕ぎ出してしまったのか
そこは遠いからいかないでねと
娘だった私が母親になって言っていた
あそこは不安だからぜったいそばにいてねと
母親だったあなたが娘のように私に訴えていた
ほんとうに心細そうに

あれほどに強かったあなたの面差しは
すでになく
不仲だったはずの娘にすべてを頼る
ひたすらに大人しい老人になっていた

五十年ぶりに手をつないだ
あなたのすべてを支えることに
途方もない重みと疲労を感じた

曖昧模糊の果てしない池に霧がたちこめるとき
あなたは大きな声で私の名前を叫ぶ
その迫力にわたしは気圧される
不機嫌に責めたてられていた頃を思い出す

けれどつかの間 池のふちで優しくできたことを
忘れてはいない
まだ会話ができていたころ
あなたがメモ帳にいつも
いろんなことを一生懸命書いていたころ
車椅子で散歩をして
花や猫を見つけていたころ

いつの間にかあなたが手を離して
どんどんと池の中へいってしまった
大声であなたがわたしを呼んでいる
ここにいるよと
わたしは答えるのだけれど
とても届かない
届かない哀しさに打ちひしがれて
今日も池に背を向けて還ってくる