罪びとジャンヌ

罪びとジャンヌ

有働薫

ジャンヌ・ダルクは十七歳になってまもなく家を出て、それから二年あまりの激動を生きた。ふたたび故郷の家に帰ることはなかった。彼女に罪があるとしたら、十七歳の若い身空で単身歴史に介入したことだろう。単身?いや、彼女を支える多くの人々がいた。故郷を出るために、郡長ボードリクールは付添いの兵と軍装を与えた。すでに南部シノンの王太子からは迎えの兵一名が来て案内役をつとめた。彼女は五人の男たちに守られて王太子シャルルに面会すべく騎馬で全行程十一日間の旅を続けた。

小説家堺屋太一氏の小説『世界を創った男チンギス・ハン』によれば、歴史上の人物の年齢を扱う場合には、現代の年齢に係数をかけて年齢観を修正して扱わなければいけないという。堺屋氏は日本人の場合を例に挙げているのだが、たとえば十五世紀に生存していたフランスのジャンヌ・ダルクの場合、十七歳を一・二倍して三を足すと、現代の年齢で言えば、二十三歳ほどに当たる、つまり少女というより若い女性としたほうが、イメージとして適切だと考えられる。

映画などで見るジャンヌはたしかに成熟した女優が演じているわけである。妙齢の女性が処女のまま戦場に赴いた。成熟した女性の生理については、劇的な活動をする女性では生理は停止状態となる、というのが医学的な所見である。

ジャンヌには身の回りの世話をする少年小姓と懺悔聴聞僧が付き従っている。のちの五ヶ月におよぶ裁判で、やましいことはなにも無いと言い切った彼女のいさぎよさは、この毎日の懺悔の習慣に裏打ちされていたかもしれない。

ジャンヌにはガリアの血が流れていたのだろうか?一族の祖先にアレジアの戦いに参戦したゴール人がいただろうか?

ランボーがゴールの子孫だっただろうことは容易に想像がつく

さあ幸福に挨拶だ、ゴールの国の
鶏が、歌い鳴くそのたびに。  「地獄の季節」錯乱Ⅱ 粟津則夫訳

さあ出発だ、と言って、彼はローマを飛び越してアフリカ大陸まで歩いて行ってしまった。