第六十八回目 やまだ紫の「冷や酒」


○やまだ紫は、『しんきらり』(ちくま文庫)などの漫画家として広く知られていると思う。やまだ紫詩集『樹のうえで猫がみている』(筑摩書房)の「初出一覧」には、詩集に収録されている42編の詩のうち25編が詩誌『ラ・メール』(1〜19,21〜26)に初出とあるから、詩人としても創作歴が長いひとのようだ。


冷や酒

      やまだ紫


夜半に仕事が仕上(おわ)り
十数枚の画稿を整え引出しに仕舞う

台所へ行って手を洗う

土鍋に昆布を敷き水を張る
冷蔵庫から豆腐を出し
割合小さめに切って鍋に入れる
ガスの火を小さく点ける

寝間着と洗い晒しのパンティを手近に置き
風呂場へ

軽くシャボンを使ってシャワーを浴びる

冷や酒をコップに注ぎ
湯豆腐の前に座る

もう一度引出しの画稿をのぞいて
安心する

なんだか有難い気がして
コップ酒に手を合わせる

いきなり泪があふれた

        やまだ紫詩集
        『樹のうえで猫がみている』(筑摩書房)所収


○詩集『樹のうえで猫がみている』には日々の生活場面からきりとられたような情景とそのときの感覚を描いた作品が主に収録されている。みひらきの一編一編に自筆イラストもつけられているので、詩画集と呼びたいところ。言葉に飛躍や無理がなく、最後の行まで淡々と説明的な行が並ぶところ、無技巧のようでいて言葉の選択やテンポがかっちりした同じトーンで破綻がないのが読みとれる。他の詩には娘さんやご亭主のことをうたったものもあるが、この詩から感じとれるのは、一人住まいの独身作家(漫画家)の生活というふうな雰囲気だ。それでも作品が仕上がったお祝いに、深夜ひとり湯豆腐をつくって冷や酒をのむ、という描写からは、かなり板についた生活経験(生活のささやかな楽しみ方の技術のようなもの)を感じさせられる、というべきだろうか。作品を生む厳しい緊張から解放されて、酔いのきざしと共に堰をきったように情緒がこみあげてくる。こういうお酒も無類の味わいだろう。







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