第五十五回目 吉野弘の「酒痴」


○吉野弘に「酒痴」というタイトルの詩がある。「酒痴」という言葉は手元の『大辞林』にも載っていなくて、もしかすると作者の造語かもしれないのだが、この言葉にどんなニュアンスがこめられているのだろう。


酒痴

      吉野弘


一日の終り
独り酒の顛末を最後まで鄭重に味わう
酒痴
殆ど空になった徳利を、恭しく逆さにして
縁からしたたるものを盃に、しかと受けとる
初めに、二、三滴、素早く、したたり
やがて間遠になり
少し置いて、ポトリ
少し置いて、ポトリ

やや長く途切れたあと
新たに、ゆっくり
縁に生まれる、ふくらみ一つ
おもむろに育ち、丸く垂れ、自らの重さに促されて
つと、盃に飛びこむ
一滴の、光る凱歌

長く途切れたあと
少し傾げた徳利の縁に
またも、微かにふくらみかける、兆一つ
しかし、丸い一滴へと、それがなかなか生長しないのを
急には育たない少女の胸のように
いとおしみ、見て
オイ、どうした、急げよ
などと
お色気なしの、平らな胸の、清楚な愛らしさを
からかいながら
それが丸く育つまで
逆さの徳利を静かに支え、じっと見守っている

深夜の
酒痴

        『吉野弘詩集』〔ハルキ文庫)より
        (表示の関係で作品中のルビを省略しました)


○一日の終わりの独り酒とあるから、酒量をきめてこの一本で終わり、ということにしていたのだろうか。かなり酔いがまわっていい気持ちになっているのだが、まだ飲み足りない。けれど決まりを破ってもう一本というほどの状況ではないのは心得ている。それにしても名残惜しさがあるので、徳利を逆さにしてその滴を盃にうけている。いかにも見覚えのある風景というか、もしくは経験のある所作(^^;という感じだ。この詩では、そのあとの徳利から酒の滴がしたたる様子を微速度撮影のフィルムのように観察描写しているところと、その観察から連想された少女の胸が発育していく様子、という、淡いエロスを感じさせる空想が、とても印象的に描かれている。
 ゆっくりと膨らんでいく酒の滴に、なかなか成長しない少女の胸を連想するというのは、そんな少女の成長のさまを実際に身近に見てきた人ならではの発想のように思える。「いとおしみ」とか、「お色気なしの、平らな胸の、清楚な愛らしさを/からかいながら」といったいかにも父性を感じさせる言葉が、そういう想像を強めている感じだ。だがそれだけでいいつくせない味があるのは、この連想が、もっと一般的なイメージのかたちとして、少女が女性として成熟していくプロセスを異性の側から感受する、という普遍的なエロスの視線に重なることが、自然に気づかされるからだと思う。酔いが、約束事の境界を空想の中ですっとこえてしまう。そういうちょっとあやういような淡いエロスの感覚、その空想の傾きは、「酒痴」というあまりなじみのないタイトルの言葉に、微妙だがこれ以外ないという感じでしっくりしていることに驚かされる。




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