第五十一回目 林芙美子の「酔いどれ女」


酔いどれ女

      林芙美子


鉄くずのようにさびた木の葉が
ハラハラ散ってゆくと
街路樹は林立した帆柱のように
毎日毎日風の唄だ。

紫の羽織に黒いボアのうつるお嬢さん!
私はその羽織や肩掛けに熱い思いをするのです。
美しい女
美しい街
お腹はこんなにからっぽなんです。
私も不思議でならない
働いても働いても御飯の食えない私と
美しい秋の服装と----

たっぷり栄養をふくんだ貴女の
頬っぺたのはり具合
貴女と私の間は何百里もあるんでしょうかね----

つまらなくて男を盗んだのです
そしてお酒に溺れたんですが
世間様は皆して

地べたへ叩きつけて
この私をふみたくってしまうのです。
お嬢さん!
ますます貴女はお美しくサンザンとしています。

ああこの寂しい酔いどれ女は
血の涙でも流さねば狂人になってしまう
チクオンキの中にはいって
吐鳴りたくっても
冷たくて月のある夜は恥ずかしい

嘲笑したヨワミソの男や女たちよ!
この酔いどれ女の棺桶でもかつがして
林立した街の帆柱の下を
スットトン
スットトンでにぎわせてあげましょう。

        林芙美子詩集「蒼馬を見たり」より
        『現代詩文庫1026 林芙美子詩集』〔思潮社)収録


○年譜によると、この作品が収録されている詩集「蒼馬を見たり」は、昭和四年に刊行されている。著者二十六歳。改造社から刊行されてベストセラーになる小説『放浪記』の出版は翌年のことだ。作者は夜勤や休暇中は女中奉公をしながら尾道市高等女学校を卒業後、高女時代からの愛人をたよって上京、住居も転々とする。苦学して上京し、詩人作家を志し、様々な職につきながら、結婚して数ヶ月の同棲生活後の離婚といった激しい私生活の浮き沈みも体験している女性。そういう女性が、「酔いどれ女」の身に自分を仮託して、思いの丈をうたった作品。通りすがりのお嬢さんにからむというか、酔っぱらった女が身の上を独白調で語るという感じで終始しながら、出だしの描写はモダンな近代詩風で、構成もしっかりまとまっている。それもそのはずというか、この疾風怒濤の青春期に作者は親交を得たアナキズム系詩人や多くの若い文学者たちとの交流と研鑽を積んで、当時の文芸潮流のただなかにいたのだった。詩集『蒼馬を見たり』にはお酒のでてくる詩が幾つかある。詩人文学者仲間とのつき合いや、カフェの女給など酒に関係する仕事をしていたせいもあるだろうが、作者がそういう生活にはいる以前の高等女学校時代(大正十年)に、すでにボードレールばりのお酒の讃歌を書いているのに驚かされる。このときバッカスの神に見込まれてしまったのだろうか。


命の酒

秋は淋しくも酔いしれる
強く! 甘く!
琥珀の色に輝く酒
酒は淋しき人の命
悩める者の慰め
命の酒!
淋しからずや運命(さだめ)
呪わしき運命よ
命の酒よ
芳醇な命の酒に
我は酔いしれて
しびれるまで

     初期詩編から
     『現代詩文庫1026 林芙美子詩集』〔思潮社)収録






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