第四十四回目 干堅の「友あり遠方より来る」


友あり遠方より来る

     ----贈小丁

      干堅(ユイジュン)


きみは黄河を渡って私に会いにくる
きみは南の地方をずっと通りぬけた
一号から二〇三号までさがし歩いた
二〇三号には千人あまり住んでいて
君はびっくり仰天
私を探すのにどんなに大変だったかと怨みっぽくいう
南の地方ではみんな鳥の巣に住むとでも思うのかい
君は背が高く 毎日愛情のなかに腹ばっている
いっぴきの幸福な種馬のようだ
私は背が低く 愛情のなかを出たり入ったりしている
いっぴきの宿なしの牡猫のようだ
きみは色白で 私はまっ黒
太陽は私にしたしく きみには疎遠
私たちは南の地方の一軒の宿で坐っている
初対面なのに旧知のようだ
ふたりの殺人犯のごとく初対面なのに旧知のようだ
きみはほかの土地にいるたくさんの天才のことを話してくれる
まだいるよ ええと韓東なんかが と
あのサルトルになりたい人
あのハンサムな人
あの夫婦喧嘩は絶対にしないと誓った人
あの南京に住んでいる人
あの運動は駆足しかできない人
きみたちはある冬に私の詩を読んで
びっくりする
きみたちはいう われわれを除いて
干堅こそは敵だ と
あいつには用心しなければならないぜ
あいつはもうスウェーデン行きの切符を買ったかもしれないな
私はとてもうれしい むかしはきみたちを知らなかった
私はほんとにうれしい 話したいことが話せて
南の地方の女たちはとても美しい 四季は春のようだ
男たちは そこで一生涯恋にめぐまれる
でもここでは きみは何もしゃべれないよ
あそこに高い山があり
太陽はその首にかけられたネックレスにすぎないし
あそこに深い河があり
太陽が落ちても水玉も散らないんだ
ながい間 私の戸を敲く者はいなかったんだ
私たちは少し話しをしてみようかなと韓東がいったんだよ
で 私たちは話しをしている
一流の詩をつくり
二流の作品を読み
三流の恋愛をする
詩人の意味は何ぞやといって
私たちは「へへへ」と冷笑
そとはもう黄昏で
夕刊売りがでている
コーヒーを飲み終わるとビールを飲み水を飲み
そのあいだに三回も小便にいった
夕食の時間になった
丁当(ティンダン) きみの名まえのひびきはいいね
私は今日は文なしさ
このつぎにはきみを順城街へつれていって
名物のビーフンをごちそうするよ

    中国現代詩集『億万のかがやく太陽』〔書肆山田)より


○中国語のタイトルは「有朋従遠方来」。「子の曰わく、学びて時にこれを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや。朋あり、遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。 」という「論語」第一巻の冒頭の有名な一節からとられているが、よく学んでよく習い、無名で貧乏だからといって人をうらやまず、という孔子の文章の精神みたいなものが、そのまま受け継がれている感じがするのは、やはり作者が本場中国の人だからという先入観からくるのだろうか。お酒(ビール)のことは、少ししかでてこないが、作者が遠方から来た詩友小丁氏と語らいながら飲んだビールは、さぞ美味しかったに違いない。
 詩集の解説によると作者は1954年生まれ。「文化大革命」(66〜77年が10年動乱と呼ばれるという)に青春期を送ったいわゆる「ロスト・ジェネレーション」と呼ばれる文革世代の後の世代に属する詩人で、この世代は、詩集にある本人のコメントによれば「ご馳走のテーブルの傍に立っている世代」と呼ばれたりするらしい。この詩の舞台はどこだろう。詩集には著者は「雲南省文聯理論研究室に勤務」としか書かれていないが、詩の中にある「順城街」という言葉をたよりにネットで探索したところ、雲南省の省都昆明であろうとの結論に達した。市内の順城街には、安くて美味しい店が多数あるとの情報も。昆明は一年中気候が穏やかで「春域」と呼ばれているともあり、「四季は春のようだ」という詩の中の言葉にも一致する。だからどうだというわけではないが、地図で位置を確認すると、雲南省は中国の南西の隅っこにあり、いかにも友が遠方より来るという感じがわかる。




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