第四十三回目 ケストナーの「男声のためのホテルでの独唱」
男声のためのホテルでの独唱
エーリヒ・ケストナー
これは私の部屋であって、私の部屋ではない。
ベッドが二つ、仲よくならんでいる。
ベッドは二つだが、一つしかいらない。
私はまたひとりになったんだから。
トランクがあくびをしている。私もだるい。
君はかなりちがった男のところに行った。
私は彼をよく知っている。君が万事うまく行くことを祈っているよ。
実のところは、君がついぞ到着しないことを、私は願っているのだ。
君を行かせるべきじゃなかったろう!
(私のためじゃないよ。私はひとりでいたいのだ。)
しかし、女があやまちを犯そうとする時には、
そのじゃまをすべきではない。
世界は広い。君は迷い子になるだろう。
ただあんまりひどく道に迷わないように......。
今夜、私は酔いつぶれるだろう。
そして、君が幸福になるようにと、少しばかり祈るだろう。
高橋健二訳ケストナー詩集『家庭薬局』〔かど創房)より
○ケストナー博士の人生の処方箋詩集『家庭薬局』のなかに、ひどく二日酔いになった場合とか、飲まずに居られない心境になった場合とか、そういう時の処方箋になるような詩がないかと探してみた。しかし見つからない。上にあげた詩は、「孤独がたえがたくなったら」という場合に服用すべきとされる処方箋の詩の中のひとつ。それまで一緒に暮らしていた妻か恋人に去られたばかりの男の寂しさや未練の気持ちがうたわれていて、この男のような切ない心境に比べれば、君のただの孤独なんて、ましなほうだよ、という慰めのメッセージがこめられているのだろうか。それにしても、結局お酒で孤独のうさを晴らすことを奨励しているようにも見える(^^;。
訳者あとがきによると、エーリヒ・ケストナー(1899〜1974)の詩集『家庭薬局』は、1936年にチェコで出版された。ナチスはすでに彼の著作を焼き、好ましからぬ作家として執筆を禁じていたが、外貨獲得のために外国で本を出版することは許していたという。そこでこの詩集はドイツ語の通じるチェコ北部で出版されたが、ナチスに批判的だったり、反戦平和主義的な詩は載せられなかったという。二日酔いの場合の処方箋の詩などというのも不謹慎という感じだったかもしれない。なお、高橋健二訳の『家庭薬局』〔かど創房)には、訳者の創案で、ケストナーによって当時書かれた反戦平和主義的な詩が4編「平和が脅かされていたら」というタイトルのもとに収録されている。またしてもお酒に関係ないが、その中から、ナチス治世下のドイツを風刺した詩で、ヒットラーが頭をきっちり分けていたことを皮肉った個所もある「君や知る、大砲の花咲く国を?」という詩を以下に紹介しておこう。訳者註によると、このタイトルはゲーテの「君や知る、レモン花咲く国」のパロディだということです。
君や知る、大砲の花咲く国を?
エーリヒ・ケストナー
君や知る、大砲の花咲く国を?
知らないって? まもなく知るだろう!
あそこでは支配人が胸を張り、大胆不敵に
事務所に立っている、まるで兵営ででもあるかのように。
そこでは、ネクタイの下に一等兵のボタンが生(は)える。
そこでは、みんなが目に見えないヘルメットをかぶっている。
そこでは、人は顔を持っているが、頭は持っていない。
ベッドに入れば、もう子どもがふえる!
そこで、ある幹部が何かを意図すれば、
----何かを意図するのは彼の職業だ----
知性はまず硬直し、次に停止する。
かしら右!背骨はぐにゃぐにゃ1
そこでは、子どもは小さい拍車をつけ、
頭を分けて生まれてくる。
そこでは、市民として生まれるのではない。
そこでは、黙っている奴が昇進する。
君や知る、その国を? その国は幸福になるだろう。
その国は幸福になるだろう、幸福にするだろう!
その国には、畑が、石炭が、鋼鉄が、石が
勤勉が、力が、その他いいものがある。
精神や善意だって、その国には時にはある、
真の英雄精神も。だが大ぜいにはない。
二人に一人は子どもで、
鉛の兵隊で遊ぶ。
その国では自由は実らない、あおいままだ。
何を建てても、----きまって兵営になる。
君や知る、大砲の花咲く国を?
知らないって? まもなく知るだろう!
高橋健二訳ケストナー詩集『家庭薬局』〔かど創房)より
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