第四十二回目 中井英夫の「首吊りのうた」


首吊りのうた

      中井英夫


花かげに設けられた
これは酒宴のむしろではない
咲きにほふ花は炎のやうに
ここは私の死刑場
空はふかぶかと青み
のどかな小鳥たちの声もする
けれどもここは死体置場
これが絞首台 これが縄
それからこれが一番だいじだが
私の首
花びらはさんさんとふりそそぎ
眼にみえぬ流刑者の血は流れ
これが鞭 これが蓮のうてな
そのうへに私は立って合掌し
いま
 ぶらんと吊りさがる
 み仏はわたし

    中井英夫詩集『眠るひとへの哀歌』〔思潮社)より


○春たけなわの桜の木の下で筵を敷いて知友と酒を酌み交わす。けれどこの酒宴の場に連なりながら、「私」はなぜか死刑場のまぼろしを眼前に思い浮かべる。少人数のあつまりで、誰もかれも花を眺めて静かに酒をのんでいる、という雰囲気だったのだろうか。「私」の幻想をさまたげるものはいない。終わりかけの花びらが風にまい散り、空はあくまで青く、小鳥たちさえのどかにさえずっているというのに、「私」の心の中に浮かぶのは、ひっそりとした不吉な刑場であり死体置場の風景だ。ところで、その場には、鞭でうたれ血を流す「眼にみえぬ流刑者」がいるというのだが、とつぜん、傍らの蓮の萼のうえに立って合掌する「私」が登場して、いま、宙空にぶらんとぶらさがったのだという。短い詩行のなかに、刑場で縊死したのが「眼にみえぬ流刑者」ではなく、「私」であり、その「私」は実は「み仏」であった、という「意味」の意外な転換がかくされている、なんとも謎めいた幻想のビジョンを描いた作品だ。
 作者は「アンチ・ミステリー」の傑作といわれる長編小説『虚無への供物』や、戦後の早い時期に短歌誌の編集長をつとめ、葛原妙子、中城ふみ子、塚本邦雄、寺山修司といった歌人を見出したことでも有名な人。世には自作詩とこんなふうにむきあっている人もいるんだ、という意味で、心に残る「あとがき」が、この詩集『眠るひとへの哀歌』には付されているので、その一節を引用しておきます。


 いままで、私にとっての自作の詩は、一度も作品であったためしはなかった。それは、はかない限りの測深儀で、舟べりから索をつけておろす錘りに似ていた。それがようやく海の底に届いて、また手繰りあげた尖端にわずかな緑の藻がついているとき、私はそれを詩とよんだ。あるいはその緑にさらに小さくきらめく塩の結晶だけが詩とよばれるなら、なおさら私には乏しいものとしかいえない。
 詩集というものも、また、死ぬまえに手づくりの数冊をひそかに知友へ送り届ける以外に考えてはいなかった。すなどる、といって魚介のたぐいではない。この貧しい供物を捧げてしまった以上、私にはあと、天帝のみごとな罰を待つばかりのように思われる。

    中井英夫詩集『眠るひとへの哀歌』「あとがき」より




[back][next]