第三十七回目 牧水のお酒のうた
白玉(しらたま)の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり
かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ
とろとろと琥珀(こはく)の清水津の国の銘酒白鶴(はくづる)瓶(へい)にあふれ出づ
酔ひはててただ小(こ)をんなの帯に咲く緋(ひ)の大輪(だいりん)の花のみが見ゆ
あな寂し酒のしづくを火におとせこの夕暮の部屋匂はせむ
わが歌を見むひとわれのおとろへて酒飲むかほを見ることなかれ
ほんのりと酒の飲みたくなるころのたそがれがたの身のあぢきなさ
ただ二日我慢してゐしこの酒のこのうまさはと胸暗うなる
まさむねの一合瓶(いちごうびん)のかはゆさは珠(たま)にかも似む飲まで居るべし
病む母を眼とぢおもへばかたはらのゆふべの膳に酒の匂へる
酒無しにけふは暮るるか二階よりあふげば空を行く烏あり
津の国の伊丹(いたみ)の里ゆはるばると白雪来るその酒来る
酒の名のあまたはあれど今はこはこの白雪にます酒はなし
酒のめばなみだながるるならはしのそれもひとりの時に限れる
一杯をおもひ切りかねし酒ゆゑにけふも朝より酔(ゑ)ひ暮したり
それほどにうまきかと人のとひたらばなんと答へむこの酒の味
酔ひぬればさめゆく時のさびしさに追はれ追はれてのめるならじか
朝酒はやめむ昼ざけせんもなしゆふがたばかり少し飲ましめ
うまきものこころにならべそれこれとくらべ廻せど酒にしかめや
人の世にたのしみ多し然(しか)れども酒なしにしてなにのたのしみ
寂しみて生けるいのちのただひとつの道づれとこそ酒をおもふに
居酒屋の榾木(ほだき)のけむり出でてゆく軒端に冬の山晴れて見ゆ
酒ほしさまぎらはすとて庭に出でつ庭草をぬくこの庭草を
若山喜志子、大悟法利男編『若山牧水歌集』(新潮文庫)より
○和山牧水は、旅と酒を愛した歌人として有名だ。若山喜志子、大悟法利男編『若山牧水歌集』(新潮文庫)には、牧水の残した全15冊の歌集の中から「それぞれの歌集の特色を生かし各時代の歌風を明らかにする」(解題より)ことを念頭において抄出されたうた1410首が収録されている。それらを、お酒をうたった歌に注意してパソコンに打ち出しながら(^^;斜め読みしてみた。我ながら変なことをしている気分になってくるが、牧水当人だったらこういう抜き書きも笑って許してくれると思う。と、そういうふうに思えるほど、牧水の酒とのつき合い方は、おおらかというか、自然体だった、というのがそういうことをしてみた結果の第一の印象だ。牧水が酒をうたうのは、歌の小道具や飾り物としてではなく、ただただ生活の一部に染みこんでいるからだという感じだ。ほとんどの歌集に酒を詠んだうたが含まれている。「白鶴」とか「まさむね」とか「白雪」といった銘酒の名前がダイレクトにでてくるのも楽しい。自分が毎日酒を飲むことの害毒ということも大いに気にしていて、朝酒も昼酒もやめたほうがいいと思いながら、それができない。やはりのんでしまう(^^;。すごく有名なうた二首を最初にあげて、あとは出版された歌集の順序どうりに酒のうたを選んで並べてみた。収録歌集の名前はあげていないことと、もれているお酒のうたも多いことをお断りしておきます。おしまいにあげたのは、死後出版された歌集『黒松』収録の「最後の歌」から。
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