第三十六回目 佐々木幸綱の「夏の鏡」


冷酒を口に含みて読み継げり詩はぐさぐさの死への歩み

かなしみの古歌鮮しき夏の夜を酒波立てて蚊が溺れいる

とどろける闇を抱きて生くるゆえ連日の酒、舌を刺すなり

履歴書に書かざる夥しき日々の夜々の泥酔こそがわが核

酒を飲もうか旅に出ようか午後五時の断崖に来つ今日も急いで

轟と来る「時間」の戦車やりすごすため飲んでいる一杯呑屋

身の透ける白魚の身をかなしみて酒飲みおれば夜ぞ更けにけり

蝶を吹く荒き疾風(はやて)の巻きのぼる日を過ごしてやあわれ酒飲む

起きて酔い寝(い)ねて夢中に酒を飲むいづくの春ぞくれぐれの花

あわあわと酒飲みおれば秋の嵐の荒れつつあるか雷(らい)ぞ聞こゆる

もつれ合う内部湛えて酒を飲む東(ひんがし)に炎(かげろい)の立つ夜明けまで

血迷う刹那無きさびしさに刃をあてて酒の肴の肉叩き切る

       佐々木幸綱歌集『夏の鏡』〔青土社)より


○確かお酒のうたが多かった気がすると思って本棚からひっぱりだしてきた佐々木幸綱歌集『夏の鏡』。なかから酒をうたった歌を抜き出してみたが、この歌集には、実はこの他にも十数首酒のうたが含まれている。その中には戦争で人を殺めたことのある老人と飲み屋で呑んだ時のことをうたった連作や、京都の飲み屋で旧友と久しぶりに呑み、彼の家でまた呑んだときの連作、父の命日に亡父を偲びながら飲んだときのことをうたった数首など、具体的な場面にそくした印象的なうたがあるのだが、ここではそれらをのぞいて、歌集にある順番にそってあげてみた。それにしても、春夏秋冬なにかにつけて酒になる、という感じの酒好きの人の姿が浮かんでくる。この歌集には四十七年から昭和五十一年頃までの作歌が収録されていると「後記」にあるから、1938年生まれの著者が30代半ばの数年間の飲み頃(^^;の時期に重なる。たしか俵万智さんのエッセイ集『百人一酒』(2003年1月30日発行・文藝春秋)の中に、氏が、最近では弱くなって一升くらいしか飲めなくなったと話されていたとの記載があったと思う。ううむ。




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