第三十三回目 ニーチェの「ハーフィズに」
ハーフィズに
(乾杯の詩----水を飲む者の疑問)
フリードリッヒ・ウィルヘルム・ニーチェ
君が君のために建てた酒場は、
どの家よりも大きく、
そこで君が醸した酒は、
世をあげても飲みほせない。
かって不死鳥(フェニックス)であった鳥は、
君のところに客となって泊まっている、
ひとつの山を産んだ二十日鼠、
それは------おそらく君自身だ!
君は一切で無、酒場で酒、
不死鳥で、山で、二十日鼠だ。
永久に自分のうちに陥ちこんでゆき、
永久に自分から飛びたってゆく----
君はあらゆる高所の没落だ、
あらゆる深淵の輝きだ
あらゆる陶酔者の陶酔だ
----すると何のために、何のために君に酒が要るのか?
多田利男編訳『ニーチェ案内 詩と箴言から』(勁草書房)より
○この詩は、1884年秋の作品。ハーフィズ(ハーフィスとも)とは14世紀のペルシャの詩人シャームス・オーディン・マホメットという人の綽名(筆名)で、どんな人かというと、多田利男編訳『ニーチェ案内』の解説には、「イランのシーラーズに生れて神学を学び、アラビア語に精通して、ペルシャの抒情詩形に最高の完成を示した。その詩は精神的な完全な形のなかで、自由主義者として恋愛、酒、瞑想的な人生の享楽を賛美し、これに哲学的な解釈を与えている。死後に友人が作った彼の詩集は、ペルシャ語やトルコ語の注釈をつけて東洋で出版され、イランの家庭で暗記され、ゲーテの西東詩篇にも大きな影響を与えた。」とある。また、『ニーチェ全集 第八巻(第二期)』(白水社)の訳註には、「ハーフィスが主として歌った詩のテーマは愛(とくに男色)とブドウ酒であるが、ブドウ酒はハーフィスにとって世界の秘密のヴェールをとり去る手段と考えられていた。」とあり、要するに飲酒や恋愛といった享楽や快楽に哲学的な意味を与えて賛美するような抒情詩を書いた詩人哲学者ということになるだろうか。この詩は、そのような享楽主義の権化のような詩人哲学者に捧げられているのだが、彼の享楽や自己完結する瞑想のなかに人生の真理をみいだす思想をただ称揚するようでいて、最後の一行でちょっと皮肉をこめるように反転している。逆説好きなニーチェの明るい笑い声がきこえてくる感じだ。この詩が最初一人称(「君」の個所が「俺」というように)で書かれていて、そのときのタイトルが「愚かな酒嫌い」(全集によれば「空の空」「うつけ者の正気」「うつけ者の乾杯の辞」などとも)だった、という多田利男氏の解説の指摘はとても興味深い(そのことは、ニーチェがいかにこの詩人哲学者に親近感を覚えていたかの例証のようにも思える)。この時期ニーチェは1881年に最初の構想を得て以来書き継いでいた『ツァラトゥストラ』4部作のしあげの段階(第4部出版は85年)にはいっていた。また同時期に「スピノザに寄す」「アルトゥール・ショーペンハウアー」「リヒアルト・ヴァーグナーに寄す」「ドイツのろばに」(内容はゲーテ讃)などの詩を書いている。大きな仕事をほぼやりとげたニーチェが、これまでに自分が影響を受けてきた思想家や哲学者にいろいろな思い(別れや挨拶や賛辞)をこめて詩を捧げることを思いつき、その一連の作品のひとつとして、この詩も書かれたと考えてよさそうだ。
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