第二十二回目 啄木の「一握の砂」から


あわれかの国のはてにて
酒のみき
かなしみの澱(をり)を啜(すす)るごとくに

酒のめば悲しみ一時に湧(わ)き来るを
寝て夢みぬを
うれしとはせし

出しぬけの女の笑ひ
身に沁(し)みき
厨(くりや)に酒の凍(こほ)る真夜中

わが酔(え)ひに心いためて
うたはざる女ありしが
いかになれるか

          『一握の砂』より
          新潮社刊『石川啄木 日本詩人全集8』参照

○全集の年譜によると、啄木は明治四十年五月から翌年四月まで北海道で暮らしていて、この短い期間に函館、小樽、釧路、函館と何度も転居を繰り返している。いずれも文芸同人誌の編集者、代用教員、新聞の遊軍記者、校正係、編集長といった仕事がらみの転居だった。いわゆる「北海道放浪時代」である。うえに上げたのは、このうち家族を小樽に残したまま『釧路新聞』の編集長として単身で釧路で過ごした時期のことをうたった歌だ。この時啄木は二十三歳。年譜に、「生れて初めて酒に親しみ、芸者子奴を知る。」とある。「一握の砂」では、上の一連の酒のでてくる歌に続いて、この子奴という芸者との思い出がうたわれている。お酒のうた、というわけではないが、関係がなくもないのであげてみよう。


子奴(こやっこ)といひし女の
やはらかき
耳朶(みみたぼ)なども忘れがたかり

よりそひて
深夜の雪の中にたつ
女の右手(めて)のあたたかさかな

死にたくはないかと言へば
これ見よと
咽喉(のんど)のき痍(きず)見せし女かな

舞へといへば立ちて舞ひにき
おのづから
悪酒(あくしゅ)の酔(え)ひにたふるるまでも

死ぬばかり我(わ)が酔(よ)ふをまちて
いろいろの
かなしきことを囁(ささや)きし人

いかにせしと言へば
あおじろき酔ひざめの
面(おもて)に強(し)ひて笑(え)みをつくりき

酔ひてわがうつむく時も
水ほしと眼(め)ひらく時も
呼びし名なりけり

かなしきは
かの白玉(しらたま)のごとくなる腕に残せし
キスの痕(あと)かな

火をしたふ虫のごとくに
ともしびの明るき家に
かよひ慣れにき

きしきしと寒さに踏めば板きしむ
かへりの廊下の
不意のくちづけ

その膝(ひざ)に枕(まくら)しつつも
我がこころ
思ひしはみな我(われ)のことなり


○舞え、と言われれば、立てなくなるまで舞い続けなくてはならないし、飲め、と言われれば、嫌でも悪酔いするまで飲まなくてはならない。苦しくても客には無理に笑顔をみせなくてはならない。そんな芸者(子奴)のけなげで切ない仕事ぶりと、彼女の身の上話などきいているうちにだんだん懇意になり、やがて通いつめて恋人のようになっていった記憶の情景の数々が、恋愛映画のシーンのように浮かぶ短歌がならんでいる。この恋は啄木が「突然」(と年譜にある)釧路を去ったために終止符がうたれてしまったようなのだが、それにしても引用の最後にあげたような一首を書き添えずにいられないところが、いかにも啄木なのだった。




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