第十八回目 ボードレールの「酒の魂」
酒の魂
シャルル・ボードレール
ある晩、葡萄酒の魂が壜(びん)の中で歌っていた。
《人間よ、君に届けと歌い上げよう、おお親愛な廃嫡の子よ、
赤い封蝋(ふうろう)にとざされた私のガラスの牢獄の中で、
光と友愛にみちた 一つの歌を!
わかっているとも、焔と燃える丘の上に、どれほどの
苦労と、汗と、灼けるような太陽がなければ
私のいのちを生み出して 魂を吹きこむことができないか。
でも私は恩知らずでも悪者でもないつもりだよ。
なぜって 私は大喜びで落ちこんで行くからさ
つらい仕事に疲れ果てた男の咽喉(のど)の中へ、
その男の熱い胸が居心地のいい墓となるんだ
冷たい地下の穴倉にいるよりもよっぽど気持がいい。
聞こえるかね 私の脈打つ胸の中にこだましている
日曜日の歌のルフラン 希望のさえずり。
肘(ひじ)をテーブルについて 両袖(りょうそで)をたくし上げて、
君は私をほめたたえ いい御機嫌になるだろう。
君の奥さんもうっとりと目を輝かすようにしてあげる。
息子さんには力と元気な顔色をよみがえらせて
人生の競技に向かう このかよわい選手のために
レスラーの筋肉を引き締める油ともなってあげる。
では君の中へと落ちて行こうか、植物性の不死の食べ物、
永遠の「種まく人」が投げ落す貴重な種だぞ、
こうすれば われらの愛の結ぶところに詩が生まれ出て
神に向かって珍しい花に伸び上がるのだ!》
安藤元雄訳『悪の華』(集英社刊)より
○これはなんとも嬉しい効能書きのようなワインの酒精の歌言葉。『悪の華』には「酒」と題された見出しのもとに酒をテーマにした5編の詩が収録されているが、この詩はその冒頭をかざる。他の詩のタイトルをあげると、「屑拾いの酒」「人殺しの酒」「孤独な男の酒」「愛し合う二人の酒」。このうちの「人殺しの酒」という詩が、第十三回目でとりあげた北村太郎の「日ざかり」の中で、「にょぼ死んだぜ、おれ自由!/だからとことん、飲んでやる」と、その出だしの部分が引用されている作品だ。「日ざかり」には、吉田一穂の「母」の一節「あゝ麗しい距離(デスタンス)」なども盛りこまれていて(「捻挫した永遠」もランボーのパロディでしょうきっと)、太郎詩の陽性の部分にはこういう江戸っ子的粋な遊びのところがある。「人殺しの酒」はバラード風のちょっと長い詩。以下にその前半4連までを安藤元雄氏の訳で引用しておきます。
女房は死んだぞ、おれは自由だ!
だから好きなだけ飲んでいいんだ。
昔は 一文なしで家に帰ると、
あいつのわめき声に身を裂かれたもんさ。
いまや王様みたいにいい気分、
空気は澄んで、空は素敵で......
やっぱりこんな夏だったっけ
おれがあいつに惚れたのは!
恐ろしく咽喉(のど)が渇いてやりきれん
何たって酒が要るんだ
それもなみなみいっぱいにだ
あいつの墓に。----容易じゃないぞ、
井戸に投げこんでやったんだから、
おまけに上から 井戸の縁石を
残らず落としてやったもんだ。
----できることなら忘れちまおう!
安藤元雄訳「人殺しの酒」より
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