第十三回目 北村太郎の「日ざかり」


日ざかり

        北村太郎


酒をのみすぎると脳みそに穴があくんだって
このあいだテレビでやってたぜ、とQが教えてくれた
(もう十ヶ月もテレビを見ない
この期間に見た動く映像はポルノ映画と
カニの集団のようなインベーダーだけ)
ハーヴァードから髭面の若い博士が来て
アルコールの悪を強調し
マリファナの無害を力説したのは
入梅のすこし前
ウィスキーやワインが法律で禁止されないのは
世界の酒造業者、ホテル、レストラン
ようするに大資本の陰謀である
(ヒマワリのうなだれている日ざかり
コーヒーを詰めた瓶をぶらさげ
墓地を散歩する相寄る魂)
人類は、かって
美、残虐、エロチスム
すべてのイメージを現実のものとした
現代の個人は
現実を大幻想にしようと驟雨の中をかけまわる
脳みそが
インベーダーにやられる堡塁みたいに
ぼろぼろ崩れようが、かまうものか
日常の地平線をまたいで彼方へ
ああ麗しいディスタンス、とくらあ
人間は死ぬんだぜ、というのが
唯一の救いとは
なんたる冷房装置
「にょぼ死んだぜ、おれ自由!
だからとことん、飲んでやる」
とうたったのは十九世紀最大の知的詩人であった
八月の白昼、まずいまずい食卓でも
おう、ビールの一瞬は
捻挫した永遠くらいすばらしい
(やっぱり冬、クルマを運転して山へ
そうね、冷たい穴、それがいちばん......
草むらからゆっくり、青大将がこちらへ)

           『新編 北村太郎詩集』(小沢書店)より
            詩集『ピアノ線の夢』収録作品


○『新編 北村太郎詩集』(八十一年)には、著者がそれまでに出した七冊の詩集の収録作品がほとんど収録されているが、その時著者は、全作品を詩集別でも、制作時の時系列でもなく、テーマ別に再編成するという実験的なことをやっていて、この詩はその中で「死の死」(死の意味)と題された項目に分類されている。一見屈折した酒讃歌みたいなところがあるが、この酒は、やけ酒というか、ただもう酔っぱらって死の想念をふっとばしたいために飲む酒、という感じだ。詩もまた破調というか、好んでべらんめえ調でうだをあげてるような調子と、その合間に括弧の中にでてくる沈み込んだ独白が対照をなしている。こういう均衡と振幅の表現によって死の想念に囚われている内面の思いに道をつけてやること。コーヒー党だった太郎さんにとって酒はどちらの秤のうえにあったのだろう。それにしても「捻挫した永遠」とは。





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