この一連の芭蕉書簡を中心とした文章は、1991年から1994年までのあいだに清水鱗造氏主宰の『ブービー・トラップ』誌に載せられたものだが、のちに長尾高弘氏のホームページへ同誌のアーカイヴとして同時に収録された。これを筆者が長い間放置(?)していたというわけでもないのだけれど、あるとき(そのアーカイヴを)集中して再読するに、おもに筆者の責に帰する遺漏、脱文、誤植、事実誤認が目立ち、またすこしばかりの文飾の修正を欲するところもあり、これを正したうえで、わがγページの一項として加えることにした。もとより若書きとまでは強弁しないが、この稿に筆者が満足しているはずもない。付け加えたいこと、取り消したいこと、考えの変わったところなど言えばきりもないけれど、いずれも蕉翁の「跡矢を射」るにたぐいすることとて、すでに詮方もない。筆者の認識では、あるアーカイヴの異本が二つ存在するということではなく、いうなればγページのほうを校訂・決定版として読者の前に差し出している所存だ。原連載稿では13回連載だが、13回目は未完のまま筆を擱いてしまっているので、作品『塵中風雅』としては12回で完結とした。興味のある方は長尾氏のホームページをごらんいただきたい。いっぽう翻って考えるに、筆者の芭蕉論自体、この稿とは別に一本が構想されなくてはならない巨きなたてものであるべきだとは、なによりも筆者自身が当時骨身にしみて痛感していることがらなのである。
二〇〇六年八月十九日 倉田良成
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