Feb 20, 2006
茨木のり子さんの死
朝刊で知ったが、東伏見のご自宅寝室で亡くなっていらっしゃったのを、親族からの警察への電話で発見されたそうだ。 シチズン時計の田無工場に勤めていた頃、東伏見のアパートで新婚生活をスタートした。いい所だった。昨夏「ジャンヌの涙」をお送りした。新年の賀状をお出ししたが、もう、お加減がよくなかったのだろうか。お会いしたことはなく、ただ、韓国語を習得され、韓国詩を訳されて、偉い方だなあと、尊敬していた。亡くなりかたも、わが事のようで、悼まれる。矢川さんとともに、ひそかに先輩とお呼びしている。
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