Feb 28, 2007

青髭

青髭公、こと15世紀フランスの将軍ジル・ド・レは大変興味を引かれる人物である。ことにこの人物がジャンヌ・ダルクとともに闘い、ジャンヌの死からわずか9年後に同じような死に方をしている史実にぶつかるとなおさらのことで、20世紀の作家ミシェル・トウルニエは、この二人の間にはかなり心理的な交渉ががあったとの想定で、小説を仕上げているのだが、ここで、ジョルジュ・バタイユの「ジル・ド・レ論」を読むと、この冷静な分析家にかかると、それは作家の空想に過ぎないことになる。その理由は、ジル・ド・レは国王軍元帥であったものの、まるで「子供」(それも邪悪さに限界がない)で、歴史を動かすような人格は持ち合わせていなかった、ということになるからである。ただ、人間としてのある面を究極まで生きざるをえなかった悲劇的な人格として、バタイユの関心は情熱的である。つまり、計算や裏のある悪意は思いもよらない、軽率で愚鈍な、いま考えるような恋愛をするような成熟した人格には程遠かった。ジルが挙げられた罪は3つ、ほぼ14年間に及ぶほぼ140名にのぼる幼児の凌辱と殺害、そのスケールが人々を震え上がらせる、降魔術の度重なる実行、これは火刑に値する異端行為とされた、聖職者不可侵性の侵犯、これは具体的には財政的に窮乏して手放した土地を暴力で取り返そうとして聖職者を拉致して人質にした罪。戦争による殺戮ではない、「何人の意見に従ったわけでもなく、あくまで自らの意志から、自分の想像力の赴くままに、自分の快楽とその肉の楽しみのため」暴力を実行するこれほどのモンスターは歴史の中でもめずらしいというわけである。トウルニエとバタイユの人間の解釈の仕方は、だから、まったく正反対で、トウルニエによれば、ジルの恐るべき蛮行は人間関係の極度の断裂から頭をもたげ始めたもの、バタイユによれば、人間関係を築き上げる力のまったく欠如した幼児性の静まり返った孤独から浮き上がってきたものと考える。作家と評論家のものの考え方の違いと言ってしまい、どちらかに傾きすぎると、何か取り落とした事実が残るような気がする。必要なのは結論ではなく、考えていく過程に触れることのように思う。いま、ぼつぼつと奇怪な殺人が起こっているが、そのおおもとの坩堝のような人物。それも、裁判記録によれば、少年期の放任に原因があるようだと、ジル本人が認めている。人間というもののあやうさ、人間、このモンスター。
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