Apr 11, 2007
文京区の歌
高校時代の親友Kちゃんに数年ぶりで会った。以前は、1月の《女正月》の頃、一緒に演劇を見たりしていた。そのいくどかは同級生だった緒形拳さんの西洋劇だった。彼にはシェークスピアやベケットは合わないわね、でも、いろんな傾向にチャレンジして偉いよね。など勝手な感想で内緒話をしながら。國分さんの会社に行くようになって数年、疲労が激しくて、約束を断ったりして会うのをやめていた。ようやくまた会えるようになった。彼女と話していると、宝の山を掘っているような気持になる。青春という宝の山。今回掘り当てたのは、小学生の頃歌った「文京区の歌」。何かの拍子に彼女が歌い始めて、わたしも付いて歌い出した。「…文読む窓のサワなれば、家おのずから平和あり、都は文化の中心地、わが区は都の文京区」。この歌が村野四郎の作詞であり、この歌の制作発表会が竹早高校で行われたのを、小学生の時彼女は聞きに行ったのだと話されて、びっくり仰天した。「えっ、そうなの、わたしも関口台町小学校でこの歌を習ったわよ、だからうろ覚えだけど、歌える。でも、村野四郎だなんてぜんぜん知らなかった。」「村野四郎は、小学校時代板橋で近所だったの。」「ああ、大江戸の昔より、ここは学びの土地にして、クレナイノチリチカケレバミドリガオカハシズカナリ」と出だしから歌い始めて、顔を見合わせて笑った。高校時代、彼女はダンスがとても上手だった。小柄で、手足が長く、ポーズを取ると、白鳥か、猫のように自然な可愛らしさが漂ってきた。歌も音程がしっかりしていて、コ―リュ―ブンゲンをすらすら歌って、ぶきっちょで音痴なわたしをとてもうらやましがらせた。だからといってけして華やかな美少女風ではなく、もの静かで、地味で控えめだった。どちらかといえばわたしのほうが、失恋やら何やらいつも問題を抱えては、泣きべそで訴える側だった。今度会ってみて、小学校の体育の女の先生に、バレエ学校に行きなさいと進められたと打ち明けられて、なるほど、と納得した。大森駅前通りで呉服店を営んでいたお父さんが徴兵で、戦死なさった。店は空襲で焼失した。お母さんが親類の呉服店に勤めていらっしゃる、と高校時代に聞いていた。「バレエ習いたいなんて、とても言えなかった、とても行きたかったんだけど。」靖国神社をヨコから入ってお賽銭を投げて参拝した。奥の社殿で人が集まっているのを彼女は見ていた。「わたしの父親は教員だったから戦争に取られていないの、学生を引率して勤労動員に連れて行っていたのよ。」初老のふたり、思い出話に泣き笑いの春のデートでした。もう1曲、家に帰ってから思い出した歌がある。「大東京の歌」。「うすみどり、澄みたる空に飛ぶ鳩の白き姿も、おのずから平和のしるし、青春の希望に燃えて…大東京、今日も明け行く。」こっちの方は改まった堅い感じ。こんどKちゃんに聞いてみよう。
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