k622 お別れの曲
頭の中でk622のパッセージが鳴っている。ここ10日ばかりこの曲だけ聴いている。幾人かのソリストを聴いたあと、ベニーグットマンのような雰囲気のデンマークのクラリネティスト、マルタン・フロストにはまっている。演奏ライブが見れるので、その金髪とクラシックらしからぬ演奏身振りがセクシーで(若い、私からしたら可愛い)それが楽しい。音だけならもっとふくよかで哀愁のこもった透明感、いわゆるモーツァルトブルーのたっぷりした名演もあるのだけれど、力まずにさらっと全曲を流す解釈がいまは聴くほうの負担も軽くていい。こうやってモーツラルトは生き繋いでいくだろうと、安心する。夜のコンサートのお楽しみの、大衆の、世界の、人類の、地球上にのさばった人間の、罪を洗い流すような、若い眼にしか見えない分光ブルーの、混じり気ない透明感が何ものにも代えがたい。死ぬ1月前に完成した、たぶん作曲者自身は1回ぐらいしか実演を聞いていないまま世を去っただろう。しかし本人の言うように、いつも彼の曲は頭の中で鳴り続けているのだから、聴衆に現実に聞かれなくてもかまわない、その代わり何百年経っても、世界中で演奏される、録音で、数え切れないほどの人の脳髄の中で演奏され続ける。私のように年老いた女も朝から手持ち無沙汰に気分がふたぎながら頭の中で聴き続けて、どうにか今日の一日を生きようとしている。考えてみると、この手持ち無沙汰が、人生の宝石なのだ。つまり、めったに得られない貴重なもの……
モーツァルトはモロッコへ行った
モロッコの街から少し外れた大西洋に面した小さな海辺の町で2週間海をみながら過ごしました。砂と海と空と50度近い気温と…私ではなくモーツァルトのことです。
この頃は最後のピアノ協奏曲と低音の響き渡るクラリネット協奏曲K622をくり返し聴いています…四季が崩れてきているような予感がぬぐえないのですが、18もの台風に晒されたこの夏からの鈍い色の便りです…