May 09, 2014
高橋睦郎『和音羅読』を読む
大連休中に読み、まだ読み終えられず、あと少しを残している。決してとっつきやすくも、読みやすくもない、忍耐を要する読書である。その理由は? 事情が大変入り組んでいるので、敬して遠ざかる、という読書人の、自分も含めた態度に原因があると思う。わが国で言えば漢籍の歴史を事細かに仕分けすることは時代ごとの読書人によってコツコツとなされてき、それが周知の知的財産となって共有されている。そういった作業が外国文学にこれほど依って立っていながら聖書を含むラテン文学に対しては果たされてこなかった。当面の、時代と作家を追いかけるのに手一杯で、その依って立つ根元の部分にきっぱりと鍬を入れる人が見当たらなかったことに依るだろう。地道な真に聡明な知性と感性に恵まれた人でなければ、荷が重すぎる、取り掛かっても跳ね飛ばされる。1人の作家に対してでさえそうなのだから、こんな磐根掘りのしんどい仕事はなるべく避けて通りたい。この欠落に気付いたのが、ある編集者との酒席であったと、あとがきにある。朝日新聞の冊子「一冊の本」に43回にわたって連載されたものが基本になっているという。時代を画す労作であり、意外性のある適任である。読むのは辛いがこの機会を与えられて幸運である(大変に遅まきなことだが)。まずはあとがきのアベラールとエロイーズのエピソードから読み始めるのが賢いだろう、私はそうした。
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