Dec 01, 2007
ジョゼフ・デルテーユの『ジャンヌ・ダルク』
この秋、パリの詩人たちの主催するセミナーが相次いでいる。モルポワがフィリップ・ジャコテを読むセミナーをナンテールの第10大学でやっているし、コベールは自分の新詩集『60のキス』(「キス60コ」のほうがいいかな)を読む会と平行して、シュルレアリスムのエロティスムの見直しのセミナーをたて続けに組織している。そのプログラムの中で、「アンドレ・ブルトンとジャンヌ・ダルク」という気になるテーマに眼が留まった。ルーアンの女性研究家の講演らしい。「ブルトンはジャンヌ・ダルクが嫌いだった」とある。デルテーユは南部からパリに上ってきたおのぼりさんで、ブルトンのシュルレアリズム宣言に参加した。彼は叙事詩シリーズの第1作として『ジャンヌ・ダルク』を書き、1925年度のフェミナ賞を獲得した。露骨な滑稽趣味の文体を特徴とし、多分ブルトンと長く協働する作家ではないだろう。ラヴェルの作曲でオペラの企画もあったらしい。このシリーズで、ナポレオン、ドン・ファン、イエスⅡ世(!)など、タイトルを聞いただけでうんざりするようなキッチユぶりだ。ところで、木曜日に市ヶ谷の日仏学院にクリスチャン・プリジャンの講演を聴きにいったら、2000年4月に来日した前回よりずっと年令を重ねた、しかしあいかわらず美しい、プリジャンがこんなことを言った。「ブルトンは論理的な人で、音楽がわからない。だから、彼の詩は美しいイマージュを持っているが、3行ぐらいで崩れてしまう。」詩は乗り越えられるものだから、プリジャンは吸血鬼のように、ブルトンの美しい血を吸い尽くして、いらないところは捨てるのだな、と、わたくしはひそかに微笑んだ。
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