Oct 16, 2007

『白鯨』に戻る

ようやく『白鯨』にもどった。全135章中のいま73章目だから、ほぼ真ん中。今回は一気に最後まで読み終わりたい。この小説の読みにくさは、高校時代にドストエーフスキー全集に取り付いた時のことを思い起こさせる。夏休みの大半を費やして昼間は二階の柿の木を見下ろす窓辺で、夜は布団の中でも読み続けた。夏休みの報告をした時、国語の女教師が、そんなに時間がかかったのって、原文で読んだのと聞いた。その時怒りを感じた。こいつ教育者として認識不足だ、高校生がロシア語を読むわけがないじゃないか!以後、先生を分別するようになった。良い教師と悪い教師はすぐに判別がついた。生徒は愚かだから、教師の評価をそのまま自分の態度にする。優越感のお墨付きをもらったというわけだ。先生に褒められたり、テストが上位だったりすると、トタンにクラスのやつらのまなざしが軽蔑から尊敬に変るばかばかしさ。この女教師の高飛車な質問にマイナス点が付いたわたしはますます孤立した。いじめは教師が作る。教師は教唆犯だ。でも、ドストエーフスキーは好きだった。自意識というものを教えてくれた最初の人物だった。メルヴィルは翻訳でさえ読みにくい。この作家は読者のために書いてはいない。自分の経験と意識を文字に定着しているだけだ。人の意識はこんぐらがっている。読みにくいのが当たり前だ。
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