Sep 01, 2014
幻の都市の予感
PC27番を聞いているうちに、ランボーの『イリュミナシヨン』に幻視されている様々な風景が浮かんできた。海辺にサーカスの一座が休んでいて、白い服の子どもたちが散らばっているのが見えたり、巨大な歯車のようにギーギーとかみ合い回転する都市構造物の移動。アルプスの山のあいだにおかれたグランドピアノを演奏する伯爵夫人。時を打たぬ大聖堂の丸時計。薔薇の茂みに隠れた死んだ女の子。空にかかる鉄の橋や光り輝く真昼間の都市,明け方に樅の木の間から見える真っ白な滝。未来に出現するはずの幻だ。大災害の後、すべてが瓦礫と化し、生き残った人間たちがシャベルでまた働き出す。そうすることが生き物が生きていくことなのだから。あらかたが死に、少数が生き残る。でもそれも地球がカラカラと回る不毛の岩石となるまでの猶予の時間に過ぎない。その時間はこの音楽のように疾走し、明るい。モーツアルトが5歳の頃からほとんど一生涯、馬車旅行を繰り返し、馬たちに曳かれて疾走しながら頭の中を流れて行った音楽と、ランボーが20歳になる前に様々な自己崩壊の果てに幻視した風景とが重なり合う。ブリッテンの歌曲、『イリュミナシオン』をボストリッジのテノールで聴く。YouTubeでライブも見つかった。きわめて神経質だ。それも悪くはないが、わたしはPC27の軽やかな透明感のほうがこの詩集に似合っていると思うのだが。
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