Aug 30, 2006
溝口健二特集は名画座必須の映画ですが・・・・
ここのところBSでやっている、溝口健二特集をまとめて撮っている。初めて溝口を観たのは文芸座だったが、安いだけちょっと汚かったなあ。
連れて行ってくれたI君に言わせると、上野が近いからだそうだが、わたしは池袋そのものがバッチかった。
それでも溝口というと立ち見が出て、背の小さいわたしはスクリーンがすぐに見えなくなった。
このころは仲間で交代に見に行ったような感じで、あれがよかった、これがよかったとの下馬評はおろか、エロ映画のタイトルにまで点数をつけていた。
溝口の雨月物語を観ていたときだった、前が見えないわたしに、席が空いたとI君が知らせにきた。
「ほんとだ」
「すわっちゃえよ。すわっちゃえよ」
周辺に年よりはいなかった。
わたしは座るに充分な資格があった。
一番小さかったのだ。
すすっとかきわけ入っていって座る。
これから二時間立ち見にくらべたらと思うとほっとした。
座って15分もしないうちに、なにか異様な匂いがした。
なんともいえない臭さだった。
周囲を見渡すと、わたしの隣の人物がアヤシイ。
映画館で徹夜で、過ごす人のようだった。
席があいた理由がわかった。
でも席を立ったら失礼だ。
そんな気がしたが、とうとう席を立ってしまった。
立った席に次の人が座り、戻ってきた。
冬で暖房が効いていたからどんどん、匂いは満ちていった。
地下道に浮浪者がいた時代。
映画館で徹夜できる時代。
わたしのなかで、横溝の名は匂いとともにあるのだ。
Aug 24, 2006
朝四時に犬と散歩
今日は、日課がある。つばきの施肥であるが、骨粉、油かすを補う。
その前に鉢をぬらしておかないと、ガスがでて木が呼吸できなくなる。
こういうことは本にでてこない。
ツバキの根の毛細現象はすごい。
すべては根だ。
とかいって、半分もやらないうちに暑さに耐え切れず昼寝でした。
はっは。
Aug 22, 2006
結構やってるのに、ほとんど知らないメンバーだらけだと思いつめた。
わたしって要るの?足引っ張っている?
今日は存在があぶくみたいで、神経衰弱なりかけだよーん。
あさがおにすがる毎日です。
でも、暗い。
おやしみなさーい。
Aug 21, 2006
宮沢 賢治賞について。
昨夜、わたしの書いた「たかさぶろう=高田三郎」論が、賢治賞を取ったらどうしようと騒いでいた。先方は、まったく相手にしていないが、わたしにとっては大事件なのである。
二人の友人に聞いた。
「ありえない」という。
それじゃ、わたしのは「妄想」なのね。
業界に疎いわたしは、わたしの「大発見」がそんなはずないだろうと、いじけつつ思う。
「5パーセントの確率は?」
そんなにないない、楽しそうに笑う。
夢みたいなことだよね。
でもそう思っていたほうが、きっといい。
がっかりすることはないからね。
おしまい。
Aug 20, 2006
お金が少ない。
昔読んだ江藤淳のエッセーで、(米国で)お金がないのはなんともたとえようもないほど心細いと書いてあった。何回も書いてあるので、そんなことを言っても大学から給料がでているはずなのに、とわたしはいぶかった。
江藤淳ならそこそこの地位になっているしねぇ。
贅沢なものだ、と思ったが、貧しいというのは相対的なことではある。
結果的に邪推をすれば、そういうストレスに弱かったのかもしれない。
エリートはそういう弱点を持ちやすかったとか。
わたしは今、一世一代の無駄遣いをしようとして、不動産屋とかかわりを持っている。
すると、不動産を「売る人」がいて「買う自分」を見ると、周回遅れのような気がするんじゃないかと思うのだ。
つまり自分と同じような階層の人間とばかり付き合ってきたので、エリートならずともそういうストレスに絶えられて きたのだろう。
おめでたいと言えばおめでたい。
ところで先日、建築家の友人に「老人とは?」という定義をきかれた。
同意を求められたらつらいけど、「植木や草を楽しむ」というのがその中に入っていた。
「そうかー」と思い始めたら、老人化現象はそちこちにある。
「空気音に似たへんな音を出す。」(お風呂に入るときにあ"あ"などという。)
「焼き物をやる。」・・・などなど。
幸い「詩をかく」というのはありませんでした。
ごあんしんを。
Aug 16, 2006
靖国報道で、母と。
昨日は小泉が、靖国に行った敗戦記念日。うちはアンチ靖国家族である。
父だけは靖国から抜けられなかったところがあるような、ないような。
高校生のときにわたしは、父に「行くな!」としつこく言った。
今になって電話で、母とわたしは話す。
「おとうさん、靖国にいかないでうちの墓に入ってよかったね。」
「うんうん」
子にとって、神様の父親という奇妙なものはいらないのだ。