Jan 24, 2007

わたしは結構神経質だったが、最近はトロいというありがたさ。

昨日の話。
わたしは、かねてから「癒し」という言葉が嫌いだった。
花を見て「癒しだね」という言葉が多くて、それにたいする同意には閉口してた。
癒しのつもりで育ててないから、しんそこから同意できない。
でも同意のフリをする。
それも一回二回なら良いが。
「癒しは卑しい」とひそかに思うことにした。
「癒しという言葉」にはどこかに、被害者意識のようなものがある。
それが嫌だ。
花だって迷惑なことだろう。
「ほっとするね」そういう言葉が好きだ。
もとより花に「強さ、儚さ、美しさ」いろんな属性もあるし、受け取り方がある。
でも、「癒し」を繰り返すのは困る。
同意できないからだ。
まあ、世間にそうそう付き合ってはいられない。




これも昨日のこと。

ちょっとしたいきさつで、縁が遠のいていた友人。
わたしは、この夫婦が結構気に入っていた。
今年、年賀状をもらったのを機に電話をしてみた。
「あのときは悪かった」そういう言葉が先方からでたとき、あ、やっぱりこの人好き・・・・と思った。
親の介護、死、いろんなものを経験していた私たち。
更年期のうつ病で、「病気がさせるんだから」といくども繰り返して、教員をしていた日。
そんなことから、ふつふつと彼女が耐えてきた日がわかる気がする。
教員の職場はひどい。
わたしの知っている教員にも、うつは居るし相談もあった。
「美しい日本」はこれをどうしてゆくのだろう?
そう思いつつ辞めた職場に未練はないそうだ。
「とうちゃんが退職して野菜つくってくれるなら、再就職しないでいいよ」って言ってるのよ。
素敵でしょ?
地域へのささやかな住民運動をし、コーラスをやっていて日々充実しているらしい。


先日TVでやっていた段階の世代の夫の生き方、「勝たない勝てない勝ちたくない」。
これって女性にもあてはまる気がします。
お山の大将はやめましょって。

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