Aug 08, 2006
すっかり真夏ですね。
高校野球、私の地元の横浜高校はいきなり派手に負けてしまいましたが、夏はまだ当分続きます。
高橋順子の「時の雨」を、高田昭子さんにお借りして読みました。
いまから10年ほど前に上梓された詩集です。
内容の多くの部分に、当時49歳にして結婚した夫車谷長吉が関わってきます。
しかし到底新婚さんの詩集などとは呼べません。
車谷長吉は直木賞も受賞した私小説作家であり、よって非常に変わり者です。
多分夫婦でなくても、親しく付き合うにはしんどい相手であると思われます。
加えてこの夫が結婚して2年4ヶ月後、強迫性神経症という病気を発症します。
私はこの病気を詳しくは知りませんが、
近くで生活する者に多大な負担をかけるものであることは間違いありません。
そういった連れ合いを真横において、この詩集に収められた作品は書かれていきます。
生活が、膜を破って詩人の聖域に押し入り、どす黒く膨らんだ言葉をぼとりと落としていく。
しかし高橋順子は、そういった状況でも、不思議な距離感をもって、
自らの生活を見詰めています。
そこに連ねられる言葉は、明るさすら伴ったもので、
読み手に生活の生々しい色や辛さを押し付けるものではありません。
例えば旦那のことを、ひたすら男と書きますし、自分のことを女と書きます。
強迫神経症、と書くとき、まるで看板に書かれた字を読み上げるように、
淡々としています。
しかしそれが逆にリアルさをかもし出して、引きずり込まされます。
私は最近、「高橋順子詩集成」もまた高田さんにお借りして読んだのですが、
そこに収められたどの詩よりも、「時の雨」は読みやすく書かれています。
読んでわからない詩はありませんし、考えることすらせずに読み進められます。
本当の現実に対面したとき、こぼれ出す言葉は、技術を通り越して、
読み手の内まで滑り込む力を持っているようです。
…なんてくどくど書きましたが、一言で言ってしまえばこの詩集、文句なく面白いです。
まるで自分の不幸をネタに笑い話をしているよう、夫婦漫才の雰囲気すら感じさせます。
実際には非常に辛い時期だったのでしょうが、
狂った男と、それにくっついてパタパタと走り回る女、
というような絵が見えてしまって、あちこちでくすりとしてしまいます。
目茶目茶大変な目にあったとき、泣いてなんかいても仕方がない笑ってしまえ、
という感じでしょうか。
余計な説明など不要、できればここに全文を書いてしまいたいくらいですが、
無理なので、どこかで見つけたら手に取ってみてください。
読売文学賞も受賞している詩集ですから、ここを読んでくださっている方々にすれば、
何をいまさら、という感じかもしれませんが、もし読んでいない方が居られたら、
是非お薦めします。
特に詩はよくわからないと感じている方、つまらないと感じている方にお薦めです。
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なるほど
やっぱり小川さんに読んで頂いてよかったわ。小説を書いたことのあるひとの感覚が、この詩集を読む感覚の土台になっているような感じです。
この詩集のなかに、たしか「家に帰るとわたしは壁になる。」というような(うるおぼえ。。。)詩行があったと思いますが、これは強い印象として残りました。
壁・・・向き合う人間関係では、どちらかがそのような役割を無意識にやっているのではないのかな?て思う。(←白井さんの真似。)
島尾敏雄の「死の棘」を思い出したりもしました。
Posted by たかたあきこ at 2006/08/09 (Wed) 14:17:40
生活の中にある言葉を、そのまま詩にすることが私には難しいのですが、
高橋さんは見事にそれを成してますね。
実は私は「詩集成」の中の詩には、本当の意味でのそれがなかったように思うのです。
やはりつれあいが変化をもたらしたのでしょうか。
Posted by 小川三郎 at 2006/08/09 (Wed) 23:32:13
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