Feb 13, 2006
今日は一瞬だけ、
雪が降りました。気がつくと、オリンピックなど始まってますね。
一応人並みに文学や絵画、音楽、映画などに接してきて、
そのうちの幾つかには没頭して来ましたが、
私がそれらに求めていたものは、常に抒情だったと思います。
幾ら世間で素晴らしいと称されているものでも、
抒情を感じられないものは好きになれませんでした。
逆に難解だとかハードとか、あるいはゴミと称されるものでも、
私が抒情を感じられたら、好きになり没頭してきました。
例えば音楽で言えば、パンクロックなどにも私は抒情をとても感じます。
あと、いま思いついたところでは、前衛いけばなの中川幸夫さんの作品は、
挑戦的かつ難解であるにも関わらず、抒情を感じられてとても好きです。
よって私が詩を書く上で、ひとつだけ条件をおくとしたら、
それはそこに抒情があるかどうかということです。
最近はぼちぼちと色々なスタイルの詩を試していたりしますが、
やはり私の軸になるものは抒情のようです。
どんなスタイルのものを書くにしろ、
これだけぶれさせなければ、
自分が自分でいられるのだと思います。
しかしもちろん抒情性は出そうと思って出せるものではなく、
自然に滲み出たものでないと偽ものであり、
だからとても難しく時間がかかるのですが。
どうやら目の前に壁が、
あるいは分かれ道があるようです。
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