Jul 12, 2007

宗教・神話・詩論



Sound in autumn night ――ミシャ&サブを聴く


 この二〇〇六年の十月十日、ちょうど三年ぶりにミシャ・メンゲルベルク(p.)と豊住芳三郎(ds.)のデュオを聴いた。三年前よりもっとずっと近いところで、ミシャや豊住の濃厚なプレゼンスを感じながら、である。場所は、千葉は稲毛のジャズ喫茶CANDY、宵もやや深まった八時過ぎからのことだ。聴衆は二十人もいたか、どうか。
 最初はオーケストラで言えば調弦にあたる音合わせだと思った。ミシャと豊住のばらばらに叩く音が四、五秒もしたか。気づけばふいに、「演奏」はもう始まっている。
 はじめのほうのミシャはなんだか病気、と言ってわるければ、長旅から来る疲労や風邪っ引きを思わせる沈鬱さで鍵盤に向かっているように見えた。一見、その場を支配しているのは挑発的に叩きつづける豊住のパーカッションの鮮明さだけみたいだったけれど、じつは地鳴りのように響いているピアノの存在感がなければ、表現された「音」のかたちとしてはおそらくわれわれは納得がゆかなかったのではないか。
 いま沈鬱と書いたが、太く大きな指が鍵盤に軽く下ろされるとき、その天性の重さ、鍛えられた力、ほとんど無意識の正確さによって、音は驚くほど綺麗である。笑ってしまったのは、時折見せる肘打ちならぬ拳打ちとでもいうような鍵盤叩きの技だが、もっと笑ってしまったのは握った拳打ちから指を開いてふつうに叩くときに、まったく音が変わらないということだった。目をつむって聴いていたら絶対に判らないだろう。両手の十指をフルに使って、上半身を微動だにさせず、細かな音からなるパッセージを叩いているのを見て、ビデオに映った演奏時のホロヴィッツとおんなじだ、と言ったのは横に坐っていた妻だった。事実、ミシャの音の現前を目の当たりにして、私たちが向き合っていたのは多分徹頭徹尾のヨーロッパだったのだ。ローマが終わって二十世紀の大戦争に到るまでの、連続した廃墟の時間に嬉遊する戦場のピアニスト、真っ赤な野球帽を被ってこの夜あらわれたミシャにはそんな雰囲気がつきまとう。
 時間が流れるにつれ、神を呼び降すお囃子みたいな豊住のドラムスの効験もあってか、ミシャにも確実な降霊の時が来たようで、さっきの沈鬱はかんなぎを襲う憂愁のたぐいであったとはっきり判る、脱臼的に異質な演奏に変わっていった。ホロヴィッツとは言ったけれど、ミスタッチ、やろうとして瞬時の判断でやらなかったこと、欠損、過剰その他いろいろ挙げようと思えば挙げられるが、では過剰や欠損は「何」に対してのそれであるのか。あれらは瑕疵ではなく、間然するところのない自由といううつし身であらわれた、紛れもない必然ではなかったか。私たちは現に在るものに対して、現には無い貧しいイデーとしての物差しをいたずらに当てる陥穽におちいりがちである。あの夜、鳴っていた音に表現として欠けたところはどこにもなかった。あばたやえくぼを含めたその音楽の性格からして、あの夜、あそこで響いたすべての音は、全部が正解であり、修正の介在し得ない完全な思い出であり、出された音の一つ一つは喜ばしい現成[げんじょう]にほかならなかった。こういう豊かさへ踏み出す勇気を、もっとわれわれは持ってもいいのではないか。
 演奏の途中から豊住が二胡を取り出して、いきなり弾き始めたのにはびっくりさせられたが、あの木枯らしよりもっとすがれた弦のしのびねは、中国というよりはやはりユーラシアのアースカラーを思わせるのであって、ミシャの徹頭徹尾のヨーロッパが、この巨大大陸の端に位置する、ほんの小さな広場であることを改めて感じた。
 三年前に彼らの演奏を聴いたとき、いろんなパフォーマンスに類する行為を「あくまでも音の顕現」と感じてそう書いたけれど、今回もそれはあり、もう一歩踏み込んで考えてみた。豊住は時折ハイハットにスティックを打ち付ける寸前で止めるということをやっていたが、あれは「真似」としてのパフォーマンスではない。叩かれる寸前で叩く棒は引っ込められるが、多分そのとき「音」はまさしく実在しているのだと思う。無音ではなく、おそらく「非存在の音」として。ここでは非存在の音と発せられた音とはまったく等価である。ふつうの意味でも、音楽の休符というのは音楽の断絶ではなく、りっぱな「音」の一部といえるのだから。あの引っ込められたスティックは、まさしく沈黙の様態でそこに充満している非存在の音の明らかな徴[しるし]たる、休符の記号だったのだ(動く肉体を使っての)。われわれは、そこに沈黙の要素がなければ、そもそも音楽自体が発生・存在する余地さえないことを知っている。なにか、この世のありさまと似てはいないか。
 ミシャと豊住のセッションは音のやり取りだけではない。声の掛け合いもあって、まあ、彼らの「音」の一つに組み入れられているのだろうが、私はもっと大きな意味での言葉(言語)を感じた。面白かったと思ったのは、彼らがおこなう鳥の鳴き声のような、あるいは全く未知の部族の喃語みたいに聞こえる喋りでの対話だ。鳥の鳴き声とは言ったが、鳥の鳴き交わす声といいかえたほうがよいかも知れない。言葉を前にするときわれわれはまず概念的意味を求めるが、それ以前の言葉そのものの剥き出しの実在に出会うことがある。多く儀礼や神事や芸能に見られるが(また当然ライブ等でも)、一つの空間を共有することで、概念的意味を追わなくても、何が言われているか、求められる理解は何か、何となく正確に分かってしまう場合がある。この掛け合いがまさにそれだった。概念的な意味を超えた「意味」そのものがあるといったような。禅問答や、芭蕉の言う「俳諧地」に一旦乗った連句の流れ、また、ある深みに達したシュールレアリスムの言語実験などに共通するところだと私は考えている。
 さいごにアンコールがあって、セロニアス・モンク(風)の曲を、豊住の二胡とのコラボレーションで弾いたミシャだが、指の回らなさとも見まがうモンクのピアニズムをまるっきりトレースした上で、舌を巻く軽快さでもって西欧の哄笑する神々、ティル=オイゲンシュピーゲルやガルガンチュア、フォルスタッフらの光と影を私たちにまざまざと幻視させて、一夜は終わった。
 聴衆はおおむね若いのが大勢を占めた。彼らに今夜の演奏について何か聞いたとしたら、同感する答えが返ってくるかも知れないし、とんちんかんな答えが返ってくるかも知れない。けれど、それぞれがどう感じ、解釈しようが、この夜、ここにいた二十人弱の聴衆が向き合い、官能していた現実は、同じたった一つのものなのである。演奏上のテンポを全く無視して、痙攣的な首振り運動をさかんにおこなっていた最前列の若いのが、コーヒーを飲んでいる終演後のミシャに、感極まって何度も何度も「You are great!」を連発したのに対し、ペコちゃん人形みたいな赤い帽子の老ピアニストは彼を見遣り、優しげな低音で「I am shit great」(私は糞偉大)と答えたのだった。
 

《*「tab」1号より(2006・11月)》
Posted at 19:16 in sugiyama | WriteBacks (0) | Edit
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