Mar 31, 2008

言葉-自分に向かう・誰かに捧げる

 ドウルーズの『スピノザ-実践の哲学』を読んでいる。

 何で表現の話をする際に哲学を参照するのか。色々自分なりにも不明な点があるので考えてみたい。久しぶりにデカルトの『方法序説』を読んでいたら、面白い文章が2つ見つかったので引用する。(岩波文庫落合太郎訳 より。)

 私は雄弁術を十分に尊重し、また詩をば深く愛した。しかし、そのいずれもひとしく勉学の成果であるというよりは、むしろ天賦の才能であると考えた。最も強大な推進力をそなえ、自分の思想を明快に、かつ理解しやすいように、たぐいなく見事に処理する人たちは、たとえブルターニ海岸地方の方言しか語らず、修辞学をまるで学んだことがなくても、かれらの提出する事について常に最もよく人を承服させることができる。思うがままに読者を読者を楽しませながら説得する創造力、これはすぐれた技巧と調和によって発揮しうる人たちは第一流の詩人たるを失わぬのである、かれらにして詩学をしらずにいたとしても。

 デカルトというと哲学者なので、詩のことなんて考えてなかったように思われるかもしれない。しかし、思い切った見解である。しかも非常にわかりやすい。「現代詩に汚染されていない素人こそいい詩が書ける」といった雑な反論も聞こえてくるが、それは極論であり、ある命題の否定に過ぎない。素人だろうが専門家だろうが、その人がどんな人かというのは第一義的に詩とは関係ない。ある専門的な技術めいたものと常に批判的な緊張感をもたねばならない。なので、現代詩はある意味で伝承がむずかしい。しかしある点で、詩はその人の持っているものと関わる。この点を誤解している人は多すぎる。その人が彼の書く内容に対して、正確な(学問的ではない)語り方を見つけ出すことができればいい。そして何よりもデカルトが「天賦の才能」としか表現できない表現への衝動と核心をつかめれば、その人がどんな属性・職業・言語・人種的な存在であるかは関係ない。しかし、表現の衝動と核心を掘り当て更にそれに適切な形を与えるのは非常に繊細かつ困難な闘いを必要とする。しかも、必ず努力したら、人をそして自分を拡張しうるようなものにたどりつけるとはいえない。なぜか書けてしまう人がいる。その真実をデカルトは「天賦の才能」と呼ぶ。
 ひとつ注釈をつけるとすれば雄弁術だろう。雄弁術とは演説や説得の技術である。ギリシャ=ローマ以来の言い回し(レトリック)の研究であるが、これがどのような言い回しや語り口や修辞を使えばよく人を納得せしめるかという風になる。アリストテレスが大きく体系化しする。人を感動させ真実を伝える最上の方法として西洋で考えられたのが「詩」であった。つまり人に伝えメッセージを伝播させること。それはスローガンやキャッチコピーに今はなっているのだが、それ以前は実は詩が玉座にいたのである。(と思う)

 けれどもデカルトは当時支配的な「スコラ哲学」(スコラは学校の語源)による神学と合体した煩雑なテキスト解釈や思考の方法に異議を唱え、我に帰り自分から出発する哲学の方法とスタイルを打ち出した。そのため学問に関する著書はラテン語で書かれるのが通例であったが、彼はインテリ階級(僧侶・学者)からすれば田舎言葉に過ぎなかったフランス語でこの『方法序説』を書いた。みんなにわかりやすく書いたとか何とかインテリが降りてきたと解釈もされようが、たぶん真相はちがうと思う。「我に帰る」あるいは「我から出発する」ということが大事だ。その我がどのように形成されてきたか。旅という契機が重要になっている。もうひとつ引こう。デカルトは自己中心の哲学として批判される。しかしそういう人たちは次のようにいうデカルトをどう考えるのか。

 実を言えば、よその人たちの風習を眺めることだけしかしなかったあいだは、そこに私をして確信せしめるに足るものをほとんど見いださなかったし、さきに哲学者たちの様様な意見のうちに認めたとおよそ同じくらいの多様性を私は見いだしたのであった。このようにして私がそれを引き出した最大の収穫はといえば、私どもにとってこそ甚だ異常なもの笑うべきものに思われても、他の処処方方の大民族によっては一般に受けいれられ、是認される多くの事のあるのを見、単に習慣と実例だけで自分を承服させてきたような事はこれをあまり堅く信じすぎてはならぬと覚ったことである。かくして私どもの生得の光明を暗くし、理性に耳を傾けられぬようにする多くの迷妄から、私は少しずつ抜け出していった。が、かように数年をついやして世間という書物の中で研究し、多少の経験を積もうとどりょくしたのちのある日のこと、私自身によってもまた本気に考えよう、そうして辿るべき道を択ぶために私の精神の全力を尽くそうと、私は決心したのである。このことは、私の本国や私の書物からまるで離れずにいて成功したであろうよりは、よほどよく成功したもののように私には思われる。



 よその国で当たり前と思われていることが変だと感じる。あるいは不思議だと感じるということは現代でもたくさんある。民主主義国家に育った人たちにはカースト制が謎であったり。それだけでない。それぞれの家にもうちだけの習慣があるはずである。デカルトは単なる私至上主義ではない。多くの私至上主義とは一線を画する。それは「多様性」を実感した上での、「では私とは何者か」である。自分から見た他者は自分からは変なルールで動いている。そう観察する。そこで終わりだったら多くの排外主義とかわらない。つまり「俺は正しくておまえらは変わっている」である。しかしその感じをみとめた上で、じゃあ自分が自分の国や家族や世間を生きるために採用していたルールや正しいと思っていたものは何なんだろうと進むのである。自分だって「変な奴かもしれない」と。
 そうするとこれだけ様々な違いが眩暈がするほどあるからには自分が生きてきたルールを「堅く信じすぎないようにしよう」というのである。ここはデカルトがすぐれているところ。たとえば、自分が生きている事実あるいは実存の正当性(あるいは当たり前さ)が様々な旅(これは具体的な旅のようにも取れるし様々な他者や世界に対する経験が変化し続けること=人生ともいえる)によって、ゆらぐ。しかし、だったら、「人生色々さ」で終わらせたり、「全ては相対的であり信じられるもんなんてない」「他の文化も尊重してやりましょう」と言ったりするだけではデカルトは終わらない。私は20代の頃この方向に大きく勇気づけられた。
 どれだけ色々であり様々であっても、自分が生きていたり存在していたりする事実は変わらない。つまらない人生よりはしっかり考えて、自分をより真実に近づけようとするのである。真実に近づきたい衝動というのは解説が難しい。デカルトは「生得の光明を暗くし、理性に耳を傾けられぬ多くの迷妄」から抜け出すといっている。もちろん思索において最初に述べたスピノザや様々な哲学者より「あんたはおかしい」といわれたデカルトである。私はデカルトは全ての迷妄から逃れたとは思わない。この迷妄という言葉は、「迷信」みたいなものに近いのかもしれない。けれど、どうもそうでなくて「我を忘れる」みたいな感じに近い気もする。
 私はデカルトではないから、バカになる良さは否定しない。しかし、人は意識してバカではない。私にも知らないことがある。たくさんある。あなたにもたくさんある。それ自体はちっともおかしなことではない。デカルトはだから「世間という書物」を研究するのである。知識を増やすのではなく、譲れないことを明確化させようとするのである。疑問としてはそんなことできるのかという気もする。
 私も少しずつ老いて今より頭も堅くなるかもしれないが、最近思うことは年を重ねるのは悪いことだらけではないようだ。私の場合書くことを通じて、何か自分にとっての山に近づいているような気がする。しかし、山がそうであるようにどんどん険しくなるだろうと思うのである。
 私がデカルトに引かれるのは、ある種常識や良心に敬意を払う点である。私は夢想的で非常識に実は陥りやすいからすごく参考になる。しかし、その常識の確かさや多様性を味わった上で、自分が出来ることの極点まで踏破しようとする冒険心は一方で慎重な私を駆り立てる。世の中には不条理や自分では解明が一生出来ないような他者の生や出来事があるのだ。そのわからなさに自分が打ち砕かれ、様々な誘惑に惑わされ、自分もまた他者を誘惑する。その中で、自分を深く知ると同時に自分を失う側面もある。自分が更にわからなくなり猜疑心に陥る。
 想像だが私にひきつけていくとデカルトは、猜疑心との戦いに勝ったわけでもなかろう。しかし、あらゆるものが信じられずわからなくなり、勉強も何もかも通じないという形で生きていて私はなぜ死なないのか、生きてしまっているのかと考えたのだろう。しかし、考えているからにはそれは私がなぜか生きてしまっているからだ。そのなぜかはわからないけれど生きているという回路を辿ったのではないかと思う。
 問題はそこからだ。その私を確認しどこに向かうかである。その手前で私はずっと詩にしがみついてきた。結果的にそういう側面は大きい。私も34になり人生の折り返し地点は近づいている。ここをどう折りたたむか。その際に詩がまたべつの役割を果たすように思う。詩は贈り物だとか自分を他者に捧げることだという人もいる。私はこの文の冒頭でドウルーズによるスピノザを引いたのだが、スピノザは悪をどう免れるか、より素晴らしく晴朗な生に到達できるかと問うているように思える。それはスピノザの生も相当しんどかったから、死なないで生きるにはどうしたらいいか考える。(ドウルーズによるスピノザはコナテュス=自己存続の努力を最上とし病気や自殺の危険の中でも生き延びることを模索する)そのために自分がどれだけちがう自分を生存の様態を取れるか考える。
 予感として、おそらく私はそれとはちがう方向にいく気もしている。スピノザがダメだというのではない。しかし、なんとなくスピノザはちがうような予感があるのである。また先延ばしになってしまうがドウルーズによるスピノザ論はまた考える。
 私がここでスピノザを安易に肯定すると、自己存続をより補強する形に向かわざるをえない気がするのである。スピノザはそうではないのだろうけれど。私はなんとなく自己存続のために言葉や詩があるのではないような気がしている。言葉は自分を突き抜けて誰かに捧げるもののような気がするのである。私は自分を犠牲にして他人に尽くすという考えに長らく取り付かれ、しかしそれが恐かった。結局私はあまり語ることがなかったけれど、何かのために死ぬ、その死に場所を探していたようにも思えるのだ。つまり死に取り付かれていた。しかしその考えは私には恐かった上に微かな違和感もあり、なんとなく死なないで(死ねないで)済んだに過ぎない。私はなんとかそこから回復しつつあるような気もする。死は最大の意味体験であると同時に意味の死ぬ場所である。しかし、私はなぜか知らぬが今は死ねない。死ねないほどにはこの世界で感じたことを愛しつつあるようだ。ちょっと大げさだが、その愛とも呼べるものが自己欺瞞にならぬよう注意したい。私はお人よしなのだ。甘ったれなのだ。自己中であると同時にお節介なのだ。その私のありのままに少しでも近づくことが他者・他在との距離を少しでもちぢめる様な気がする。そのようなことを可能にする奇妙な力が言葉と生との間に存在する様な気がする。言葉に自分の生命それ自体を乗せることができたら、それは最大の自由であり他者へ向かっていくだろうか。それをなんとなく「捧げ物」と呼びたい気分なのである。
Posted at 17:43 in nikki | WriteBacks (0) | Edit
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