Oct 03, 2006
木村和史さんの小説「ふたつの流れ」感想
木村和史「ふたつの流れ」感想石川和広
はじめて、木村さんの作品を読ませていただいてから、安易に感想は書けないなと思って間を置いて何度か読んでみました。
私も3年間、知的障害者と関わったことがあったので、はじめは、主人公の障害者とのかかわりや仕事ぶりといったものに目が行きがちでした。そう読むのも、題材からして無理からぬ面があるような気がします。むずかしいことですから、色々そういう意味で意見のある方も読者の中にはおられると思います。しかし、仔細に眺めてみると、いくつか感じられることがあります。
仕事をすることは、世界や人にある仕方でかかわることです。かかわる中で、その人が世界や人をどうみているかということがあらわになっていきます。知らず知らずの間に、固定観念を自分の中に作ってしまい、それに無意識のうちに縛られていくという事があると思います。この小説の中では、「自閉症やダウン症の人」の気持ちがわからない、また、相手も主人公の気持ちをわからないだろうと感じる形で、あらわれてきています。主人公はそうでない健常者に対しても、少し壁を感じているようです。
私は、障害者に対する壁というのは、ある程度解体できるのではないかと思っていますが、それは、「もっと障害者を理解しよう」ということではありません。いくら障害者に対する壁が解体されたとしても、何かまだ残るものがあると思います。両者に対する主人公の持っている壁というものは、生きている中で、健常者/障害者という枠をこえて、その人が獲得した傾向なのではないかと思います。それは善悪という評価を超えたものであって、私は木村さんが「通じあえなさ」とか「どうしようもなさ」を描こうとして、主人公にそれを託したのではないか、そう思うのです。そこにこの小説のミソがあるのではないか。
この主題はもっともっと引延ばすことができると思います。私の職業的勘からは、修さんが段差をとびこえてきてくれたとしても、そこに安んじたままではいられないと思います。その意味でこの小説は大きな流れの中のあるプロセスだと思います。木村さんも、もしかしたら、同じようなことを感じておられるのかもしれないなと思います。
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